この物語は第4話で選択式になります。

選択肢によって結末がロクセリかマシュセリに変りますので、ご注意ください。


Mash×Celes request
Breakin' through


 きっかけは、些細な事だった。カイエンと、いつも通りにガウに食事の仕方や風呂の入り方で説教をしていた時の事だったと彼は記憶している。

『マッシュって、本当にお兄さんみたいなのね』

 いつも難しい顔で何かを悩んでる彼女が笑った。少し間を空けて、彼も屈託なく笑った。
 彼女が何を悩んでいるかは誰の目にも明らかだったから、それ以上踏み込むつもりなんてなかった筈なのに。

第1話:Breakin' one



 マッシュこと、マシアス・レネ・フィガロはケフカによって世界が壊されていく様を見続けた。飛空挺ブラックジャックから落ちて、誰よりも先に意識が回復した彼の周囲には、焼け爛れた家屋と逃げ惑う人々だけが映る。キズだらけの体でも、まだこの体には誰かを救うことが出来るはずだ―――そう信じて、魔石から齎された回復魔法を残り僅かな気力で自分にかけると、彼は走り出していた。
 叫ぶ声が聞こえる方へ走れば、家屋の前で放心して座り込む金髪の少女を見つける。セリスと良く似た髪色の少女に、一瞬で彼は全身の血流が遡るような感覚に捉われた。家屋は裁きの光りに焼かれて屋根が崩れ落ちそうだ。薄白金色の長い髪をした後姿に、彼は全力で走った。

「間に合え―――!」

 マッシュの掌に溜めた気力が、熱を持って光の球を形成した。
一度引いた腕を少女の後ろに辿り着いた時に彼女の頭上より更に高く前へ突き出す。崩壊していく屋根をめがけて彼は奥義を放つ。
 少女へ落下してきた屋根の一部を必殺技で破壊すると、問答無用でマッシュは少女を担ぎ上げた。崩壊する家屋に巻き込まれない所で細い体の少女を下ろすと、少女はどうしたらいいのかわからないといった表情でマッシュを見上げた。

「あ、あの…」

 少し怯え混じりの表情をした少女は真正面から見ればあの金糸の女将軍とは似ても似つかない。自分の願望で見間違いを起こした事に気がついて、彼は苦そうに笑いながら少女の頭を撫でる。
 大きな手で少女の頭を撫でると、少女が笑う。そして、家族を見つけたのか走り出すその姿に、似ていないはずのセリスを思い出して胸の奥に閉じ込めた何かが鍵のついた扉を引っ掻く音がした。

(―――別に、誰かのものでも)

「もう一回、笑ってくれねぇかな…」

 呟きは誰にも聞かれることなく、そうして一年が過ぎた。
 世界を放浪するのは山篭りの修行に較べれば大した事もないなと自分を鼓舞して、彼は色んな街へと渡り歩く。
 双子の兄と再会するまでの10年を思えば、まだ大丈夫と彼は笑う。誰か似た人間を見つけてしまえば振り返る、その癖はここ一年でついたものだ。一年も経てば、棲んでいた場所に帰りたくなるかもしれない。そう思ってマッシュは帝国領を訪れていた。
 未だ仲間は一人も見つけられない。もしかしたらガウは獣ヶ原に戻っているかもしれないとも考えたが、世界大陸の変わりように祖国フィガロ城すら見つけられないでいるのだ。

「考えたってどうしようもない、ただそのタイミングじゃなかったってだけだ」

 一人呟いて手を握り締める。この手には魔石から授かった力とダンカン師匠から受け継いだ奥義の力があるのだ。きっと、世界で誰かを助け続ければ同じ気持ちの仲間に合えるはずなんだと信じて彼は歩く。
 空は曇り空、濃色の灰色が空に立ち込めて大地を暗くする。雨でも降るのだろうかと思い、水の匂いを確認しようとマッシュが空を見上げると、空から雷にも似た閃光が走るのを目撃した。寸分変わらぬ瞬間に聞こえる叫び声。そして、彼は走り出す。
 思い出すのは、子供の頃に双子の兄と話した神様の話。宗教は大切だけれど、神なんていないさと語る兄と、それでも神様がいればいいと語った幼い頃の自分。

(この世に神が居るのか、俺は知らない)

 ただ、確かに彼が知っている事は、ケフカが神などではないという事実だけで―――。
 目に飛び込んできたのは燃え上がる家屋。そして家屋の周囲で怯えるように立ち竦む人、人、人。

「……―――!」

 誰かの叫び声がまた鼓膜に突き刺さる。名前を叫んでいたようにも聞き取れたその声に振り向けば、絶望の表情で叫ぶ女性が周囲の男性に取り押さえられている。髪を振り乱して泣き叫ぶ女性は必死に燃える家屋へ手を伸ばし続けている。

「まだ、まだ中に私の子供が、子供がこどもが」
「ダメだ、助けに行ってみろ!それだけでケフカ様に抵抗したと俺たちまで巻き添えになる!」
「いやぁあ、放して離してはなしてえ!」

 それでも涙を流して目を見開いたまま手を伸ばす女性を見て、マッシュは、ギリ、と奥歯を噛み締める。誰も助けに行けないのではない、行かないのだ。そう気付いた時に瞬間的に湧き上がる黒い塊を、彼は精神統一の要領で自分の奥へ飲み下した。
 目を閉じて、開いた時から彼の行動は早かった。うろたえながら水をかけようか迷っていた男からバケツをひったくり、自分に思い切り被せる。自分に防御魔法と熱緩和の為に障壁魔法を唱えて更に自分の潜在能力を高めると、続いて落ちてくる瓦礫を薙ぎ倒して排除した。
 そして、一瞬だけ耳を澄ます。子供の叫び声に一番近い場所を探してから、彼は吼えた。

「うおぉぉおおおおおお!」

 咆哮と共に窓と壁を蹴破って、侵入経路を作る。その瞬間、家屋の一部が崩れ始めた。叫び声がかすれて、女性の叫びはもうただの高音でしかない。侵入経路を塞ぐように崩れ始める家屋壁を思い切り壊して、折れかけた大きな支柱を支えて持ち上げる。それで家屋の完全倒壊は免れ、子供たちのいる場所だけは崩れずに持ちこたえた。

「誰か、今なら子供を助け出せる!」

 マッシュが叫んでも、周囲の男達は怯えた表情、虚ろな目、戸惑いを隠せない仕草に溢れている。支柱の木片がマッシュの肩に突き刺さる。ガコッと外れた煉瓦の欠片がマッシュの顔を掠めて落ちた。
 マッシュのこめかみから流れる血でうっすらと目の端が滲む。掌から侵食する熱量が額から汗を噴出させ、確実に体力を奪い始めていた。

(プロテスも、…シェルも。どれだけ保つかわかんねぇな)

 血でぼやけた左目に、人垣を割って薄い金髪の女性が向かってくるのが判る。腰に差した騎士剣、アクアマリンの双眸、腰まである長いプラチナブロンド。
 その姿に長く思い描いてきた仲間を重ねて、崩れそうになる家屋の支柱をもう一度上へ突き上げた。

(セリスに見えるとか、俺まずいのかな。いやいや、そういうことじゃねえ!)

 剣を携えているなら女性といえども助けに入ってくれる可能性があるという事だ。今作った侵入経路がふさがれては、燃える屋根を全て破壊して空からでも助けに行かねば助けだせないだろう。もう飛空挺ブラックジャックすらどこにあるかわからないのだ。
 隣の家屋から飛び移ろうにも周辺の家屋は既に原型を留めていない。今この侵入経路だけは潰されるわけにいかないのだ。家屋に向かってくる女性に向かって、マッシュは叫んだ。

「中に子供がいるんだ!」

 そうすると、彼女は腰に携えた剣を抜き放つ。見覚えのある所作で、入り口を塞ごうとする木片を彼女は切り上げる。

「任せなさい!」

 彼女は勢い良くそう言って、躊躇いなく家屋へ飛び込んでいく。マッシュの耳に残ったのは、希望の色をした仲間の―――セリスの声だった。
 願ってやまない彼女の声と、暫く後に聞こえてくるセリスに引き連れられた子供の泣き声。血で薄く滲んでいた筈の左目は、いつか自分から湧き上がる涙で滲む。

(ほらな、兄貴。やっぱり神様っているよ)


第2話:Breakin' two

 

 セリスと子供が出てきた所で、マッシュは支柱を支える格好のままオーラキャノンを放ち、数瞬家屋が浮き上がる間に脱出する。セリスの手から離れた子供が母親に駆け寄って更に泣き出すと、気が狂いそうに叫んで声の掠れた母親がマッシュとセリスに向かって「ありがとうございます、ありがとうございます」と繰り返し続けた。
 セリスがマッシュと目を見合わせてハイタッチをすると、世界が壊れる前の日常を取り戻したように2人に幸せな気持ちが広がる。その様子を一部始終見ていた男性が、親子を見て悲壮な顔で近くに在った木片を投げた。その木片は、母親の背にぶつかって床に転がる。
 すぐに険しい顔つきになった2人は、木片を投げた男をにらみつけた。セリスはその行動に苛立ちを覚えて、すぐに親子を自分の背に隠す。

「出て行け! お前達親子は断罪の裁きから逃げ出した!」
(この人は、何を言っているの)

 そうだ、と誰かが共鳴を始める。騒がしくなり始めて、親子は次の恐怖に怯え始めた。

(ふざけないで……!)

 ぎゅっと抱き合う親子を見て、セリスが何かを言い返そうと身を乗り出した所で、マッシュが片手でそれを制した。
 マッシュは先ほどまで母親が居た場所に近付いて木片を拾い、民衆に背を向けて木片にオーラを込める。未だ燃え燻る家屋に向かって投げつけると、その木片は家屋を貫通するように大きな音を立てて風穴を開けた。
 そして彼は振り返り、マッシュの行動に静まり返った『ケフカの裁きが下る』と騒いだ民衆に、言い放つ。

「裁きが下るなら俺達だろ。その親子は関係ない」

 茫然とマッシュを見詰める民衆に、街を出て野営してみせるので裁きの続きが行われるか試しに見てればいいと事も無げに告げた。その言葉と同時に、灰色に立ち込めた空からぽつぽつと降り出す雨が燻る火を消化し始める。
 掌を空に向けて、セリスが雨を確かめると、マッシュの先に居る男に視線を移す。

「恵みの雨、ね」
「正しい事をしたら、ちゃんと返って来るんだよな」

 セリスはそのマッシュが重ねた言葉に、笑いを堪えきれなくなってくすくす笑い出す。普段笑顔をすぐに見せる女性ではないセリスが可笑しそうに笑うので、マッシュもなんだか嬉しくなったように笑い出した。2人の笑顔に、人々は口を閉ざすしか出来ない。
 彼女はもう一度マッシュの前に手を掲げると、マッシュもそれに気付いてセリスの高さに手を掲げる。2人は思い切り高い音を立ててハイタッチした。

(ホント、胸が空く)

 ざわつく民衆の中で対抗意見が呟かれ始める。もうこれ以上は2人の関わる話ではない、この街の話だ。それを尻目に、2人は雨が強くなり始める中を意気揚々と街を出て、野営の場所を探しに行くのだった。
 夜が深まり、通り雨が過ぎた森の中で倒木を腰掛に、簡単な食事を終える。お互いにどうしていたのか深い話は聴かなかった。

「それにしても、一年であんなに変わるなんて。本当、さっきの奴らに腹が立つったら」

 セリスが先ほどの男達について少しだけ文句を言うと、マッシュは頷いて聴いてくれていた。セリスが後で思い返しても、こういう心情の吐露をマッシュにした事は今まで無かったように思う。こんな話をする時は決まってロックが隣に居て、エドガーが居て、セッツァーが居て。彼らは彼らなりに心得た人付き合いのやり方を明確に言葉にしなくても体現してそれに応えた。
 マッシュは一体どうだろうか。そんな事を考えてセリスがマッシュを伺い見ると、そこには他愛ない話をしている時と変わらぬマッシュの笑顔があった。目を合わせてしまって慌てて逸らそうとするが、彼はそのまま目を細めてにこりと穏やかに笑った。
 静かにではなく、ただただ、穏やかに。適当な相槌を打っているわけでもなく、紳士に彼女の話を聴いているのだと判るサファイアの瞳は、長身を屈める様に背を丸めて少し下から真っ直ぐにセリスを射抜く。
 その仕草に何故か、セリスはドキリとして反射的に彼女は瞼を伏せた。

「変わってなくて、安心したわ」

 魔法で起こした焚き火を見詰めて、セリスはマッシュにぽつりと呟く。「修行してますから」と笑って返すマッシュに明るさを分けて貰った気がして、セリスはあどけない笑みを零した。それを見て、今度はマッシュが慌てたようにセリスから顔を背ける。

「なんかさ、セリス変わったよな」

 ん、と目を少しだけ開いて首を傾げるセリスの疑問符がついた声に、彼はそのまま後頭部を掻いた。背の高いセリスが並んで歩いても少し見上げる巨体のマッシュは、背中も筋肉質で広い。答えを返さないままのマッシュに、セリスも黙って焚き火へ視線を向ける。マッシュが言わんとする答えは、セリスの中にもあった。
 セリスは自分の胸に手を当てた。穏やか、なのだ。心が水平になる感覚。壊れた世界を見て、怯え暮らす人々を見て、仲間も変わっていたらどうしよう、もしかしたら思い出の中にある仲間とはもう出会えないかもしれないという不安が、セリスにもあった。
 だが、マッシュはひとつも変わっていなかった。前と同じ明るさでセリスの心に平穏をくれる。その想いを、そのままぽつりとセリスは燃え盛る火を見詰めながら呟いた。

「私、最初に会ったのがマッシュで良かった」

 マッシュが振り向いたのをセリスは気配で感じる。だが、感じる視線は長く続かず、セリスが横目で確認すればマッシュも火を見詰めるように視線を移していた。火に照らされた2人の頬がほんのりと赤い。焚き火に照らされているからだとお互いに思う気持ちは、小さく通い合う。暫くの間、2人はそうして穏やかな静寂の中で炎を見詰めていた。

 


第3話:Breakin' three

 

 まだフィガロ城が見つからないというマッシュの言葉に、セリスとマッシュは手がかりを求めて陸路を辿り、サウスフィガロへと赴く事にした。
 一人で居た時と違い、仲間が、マッシュが居るというだけでセリスの心は格段に救われていた。話し相手が居るという違いだっけではない。単純に、今まで深くは知らなかったマッシュの人柄をより身近に感じる事が出来たからだろう。

(だから、ガウもリルムも懐いてたのね)

 至極明快に、セリスは今までよりもずっとマッシュに親近感を覚えているのが分かる。そんな優しい時は、セリスの気持ちを更に穏やかにしていくのだった。
 旅の中で、ふと彼女がバッグに詰め込み直そうとしたロックのバンダナが、風に攫われそうになった事があった。それはすぐ近くにいたマッシュが掴んで事なきを得たのだが、返される時を思い出しても、少しだけ不可思議な事が頭を過ぎる。
 いつも通りの笑顔で渡したマッシュに、慌てて言い訳をしようとすると、ただ、彼は首を振るのだ。セリスもなぜ自分がマッシュに言い訳をしようとしたのかは判らない。恥ずかしかったから、という言葉を当てはめれば上手に自分へ言い訳が出来たように思っているが、それよりも。

―――瞳が、憂いた。

 突き刺さる、鈍い青の影。ハッと気がついた時にはもういつもの朗らかな笑顔を浮かべるマッシュがそこにいた。勘違いだったのかとすら錯覚する程の僅かな瞬間。眠る前に瞼を閉じて一日を思い返すと、焼きついたあの瞬間が繰り返されてどうしても離れない。
 それが苦しいと感じた事はあるが、辛さを覚えるものではなかった。むしろ、一人で旅をしていた時に繰り返される祖父が死ぬ悪夢を見続ける事の方が辛く感じていた為に、わざとその瞬間を思い出して上書きしようとしている自分すらいるのだ。
 眠る前にロックのバンダナを握り締めれば、あの孤島での思い出すら甦る。希望を奮い立たせてくれたそれは、痛みを伴って尚、自分に必要なものなのだとセリスは自分に言い聞かせた。
 そんな自分を責めてしまう彼女だからこそ、マッシュに感じた甘い痛みが今セリスの救いになっている。

(今は、動いてなきゃいけないから)

 彼女は自分の原動力が徐々にすり代わり始めている事に必死で言い訳を考えるようにしていた。馴れ合うというよりも、少し越え始めた仲間の境界線。マッシュからは正しく置かれた仲間の線を踏み越えてしまったのは、セリスの中にある寂しさが原因だろう。
 そんな自分を奮い立たせる為に、腰のベルトポーチに入れた藍色ののバンダナに触れる。そうする事によって、自分の根幹にある軸が揺るがずにいられる気がした。
 全てを忘れようと、旅先で出会う凶悪な魔物を切り伏せる剣筋も次第に力が入りすぎる。浴びる返り血も量が増えていき、自分の出血がどこからかわからなくなってきた。柄を持つ掌だけが自分が持つ元の色。彼を忘れるような優しい思い出ばかりに埋まるようなら、自分など存在しなくてもいいのにとまでセリスは思い詰めていた。

「セリス、無茶しすぎじゃないか?」
「そんな事無いわ」
「だけど、俺」

 押し通して話を遮ろうとしたセリスに、言葉を区切るマッシュ。背を向けて剣を腰に収めてみたものの、マッシュが区切った言葉の続きが気になってセリスは振り返ってしまった。
 憂いた瞳が、今度こそ間違えようもなくセリスに向かう。セリスの胸にある何かがカチリと音を立ててピースが埋まる。

(この、表情だ)

 返り血とも自分の血とも判別がつかない赤の中で、銀蒼の瞳が濃色の青と静かに見詰め合う。こんな時、ロックだったらセリスを怒るだろうか、静かな怒りを秘めて諭すだろうか。エドガーならこうなる前に茶化してセリスを諌めるかもしれない。セッツァーなら、面倒くさそうに「飛空挺が汚れんだろ」と言って言外にセリスを止めたかもしれない。
 ならば、マッシュはどうなのだろう。セリスはこんな時のマッシュを知らない。どんな想像も、この憂いた瞳の前では無に帰してしまうのだ。
 静かに息を飲むセリスに、彼は躊躇ったわけでも戸惑ったわけでもなく実直に、揺らぎが無い湖面のような静謐の瞳で言葉を紡いだ。

「俺は、女性だからとかそういうのじゃなくて―――セリスが、そんな姿してるのを見たくないなって思った」

 セリスという人間一人を見詰めて告げられた言葉は深くセリスの胸に刻まれる。不器用な程真っ直ぐに、純粋に。瞳の色は憂いている筈なのに、真っ直ぐに突き刺さる視線の力から、セリスは目が離せない。
 いつも明るくて誰よりも判りやすい表情をするマッシュから、憂いた瞳以外の表情が消えた。心の奥が全く読み取れない事に動揺したが、セリスとて悟られるわけにいかない。

(なんで、悟られちゃいけないの?)

 今しがたの自分が選択した思考回路に、もう一人のセリスが冷静な疑問を投げかけた。気付いてはいけないと自分の感情が警告している。
 マッシュから踏み越えて来たのは、初めての事なのだ。仲間としての境界線を、ほんの一歩だけ越えた位置。気付こうとしなければ戻れる些細な違い。いままで、セリスが踏み越えそうになっても正しく線を置きなおしてきたマッシュが、此処にはいない。

(今ならまだ間に合う)
「……そうね、水が浴びたいわ」
「ああ、川でも探すか」

 

 頷いたマッシュには、いつもの笑顔が浮かべられている。これでよかったのだとセリスは自分に言い聞かせて、ベルトポーチに触れる。乾いた血のざらつきが気になったが、彼女の掌は確かにそこで最愛の想い人を浮かべていた。