不落の要塞、帝国潜入。
 それはあまりにも無謀と言わざるを得ない無謀な賭け。生きて還れる保障などどこにも無い。
 それはまだ、世界が崩壊する前の物語―――。

 薄く開いた唇に甘いキャンディを一粒押し込む。おかしくなりそうな彼女の精神安定剤代わりのキャンディは、舌の上で甘く溶けながら彼女に問い続ける。

『そっちの水はそんなに甘いか?』

 彼女は両手を上に掲げる。飛空挺の看板で寝転がってその手を上げれば、空を見下ろすように出来るからだ。
 奥歯でキャンディを噛み潰す。鈍い音と共に、キャンディは粉々の欠片と大きな三つの欠片に分かたれた。割れたキャンディを舌先で遊べば、一番大きな欠片だけを舌で選んで人差し指と親指で持ち上げる。銀の糸が引いたキャンディを見上げて、彼女はもう一度自分の口の中へ押し込めた。

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PlasticSoul




 腰を掛けるだけでギシリと軋むベッドのスプリング。上半身をあられもなく晒しだした青年の体つきは骨格が細いわけでもないのに引き締まる筋肉と浮き上がる肋骨のせいでやけに痩せて見える。ブルネットの細い髪は、ヘーゼルの瞳に掛かるほど伸び放題なのに少し動くだけでさらさらと流れて細面の顎と耳のピアスにかかるのが美しくすら感じさせた。
 投げ出したジャケットの内側から煙草を取り出して、愛用のジッポーライターで火をつけると、誰も居ない壁へ紫煙を吐き出して彼はそれを見詰めた。
 テーブルの向こうで聞こえる衣擦れの音が、ようやく終わる。彼が横目で視線だけを移せば、白金の髪をうなじから両手でまとめて背へ流しなおす姿が彼の目に入った。通常の女性よりも高い身長と細い腰。毛髪の隙間から見える肩甲骨のラインが両腕を動かしたせいでくっきりと浮かび上がっている。
 支度が終わったのか、彼女が振り返り「ロック、それじゃ」と片手を上げた。顎の細い綺麗な顔立ちは薄い銀蒼の瞳であるせいか表情がないと冷たく見える。小さく形のいい唇が閉ざされて彼女は扉へ向かった。ロックと呼ばれた青年は彼女の名前を呼んでそれを制する。

「あいつの女になるなんて、……自分の言った事理解ってるか?」

 ロックが静かに紡いだ言葉からは感情の色が無い。元来、飄々とした彼はいつもの少年のような笑顔以外の表情が薄い。ともすれば無表情と間違えられそうな彼を優しく見せているのは年齢より幾分か幼い顔立ちのせいだろう。切れ長のヘーゼル色をした双眸からは言葉の意味すら見通せない。
 その言葉に振り返る事無く立ち止まった彼女に、ロックはもう一度「セリス」と名を呼んで確かめる。セリスと呼ばれた彼女は部屋の扉を開けて少しだけ振り返った。

「勘違いしないで」
「は?」
「……私は、まだ、誰のものでもないわ」

 努めて無感動に発せられた声は、甘い余韻など残しもしない。ロックの周囲に漂う紫煙に視線を向けてから、彼女は気怠さの残るこの部屋を後にした。
 ヒールの低いブーツをカツカツと数歩進めて自らの部屋へセリスが戻ろうと道順を辿って娯楽室へ近付く。娯楽室への入り口の扉に背を預けた蜂蜜色の金髪を持つ美丈夫が腕を組んで彼女を見ているのに気がついて、セリスは頬にかかる髪を耳の後ろにかきあげた。

「知らなかったよ」

 何が、と聴こうとした時にセリスは声の主と視線を合わせてしまう。視線を合わせた事でこの駆け引きは既に遅れを取っている事に気がついたセリスはやおらに視線を逸らした。そんなセリスの様子に口元でくすりと余裕有り気に微笑む彼は、天性の気品も相俟って誰から見ても美しい顔立ちをしていると評されやすい。
 眉を顰めたセリスが「エドガー」と彼の名を呼べば少し広い唇を彼は綺麗に笑わせた。
 エドガー=R・フィガロ、その名は世界に轟く油田と機械師団を擁するフィガロ国の王であり、反帝国地下組織リターナーに組する男。同盟国である帝国に攻撃を仕掛けられて、砂の中へ国を隠し標的である自分を亡命させて国を標的から逃がした一国の王も、反旗を翻す為の潜入部隊の一人だ。
 セリスは帝国で処刑されそうになった元帝国将軍として帝国からリターナーへと亡命を図った身だが、元帝国将軍というだけで信用性は薄い立場にある。自らの信用を勝ち取るためこの部隊に参加しているが、亡命を助けたロックが所属するリターナーへ自分の身を置かせて貰えるためにもという意味合いの方が強い。
 そんなセリスの心情と立場を全てを理解している大国の王は、普段は見聞きしていても傍観者に努める事が多いのだが、こうしてセリスをからかうのは時折ある事だった。

「……聴いていたの、厭な人ね」
「聞かせたのはそちらだろう?」

 息を少し吐き出してセリスは相手に判り易く顔を背ける。すると、エドガーはやれやれ、といった表情に変えて肩を竦めた。話を終わらせて歩を進めようとするセリスに、エドガーの腕がそれを止める。音を立てずに触れた壁にある右手は、先程まで彼女が見ていた手よりも少し無骨で大きい。
 煩いとばかりにセリスがエドガーを睨み付ければ、視線の先で彼は優雅に微笑んだ。

「聞きたくなんて、なかったさ」

 エドガーの言葉に真意を測りかねていると、男性としても身長の高い彼に見下ろされる格好になる。彼の左手がセリスの顎に手を掛けると、セリスは多少荒々しくそれを振り払った。

「君は美しい瞳をしているね」
「貴方なりの皮肉かしら、それは」
「存外に冗談でもないよ」

 セリスは負けるわけにいかないとばかりに真っ直ぐ見詰めるエドガーを見返せば、罠に上手く掛けたとばかりにエドガーは艶っぽく微笑んだ。「そう、その蒼い瞳がね」と意味を込めて呟く彼の真意はまだ経験の少ない彼女には見当たらない。
 それでも負けず嫌いな性格の彼女は此処で折れるわけにいかないのだ。

「フィガロが、砂漠の国である事は知っているだろう」
「熱気に浮かされて奔放になりやすい国だとでも言いたいの?」

 手厳しいね、と笑うエドガーは未だに腕を退けようとしない。その右腕さえなければ、この無駄な駆け引きの会話を止める事が出来るのにと彼女は忌々しげに睨んだ。そんな彼女の毒気を抜くかのように、エドガーはいとも容易く腕を退けて両掌を天に返した。

「フィガロは国が出来る前からの迷信があってね。水が貴重な場所だったからだろう、碧眼の人間はその瞳だけで砂漠のオアシスを連想させると尊ばれているんだ」

 特に、君のような薄い碧眼は更にね、と呟いた彼はセリスの方向を見ているはずなのに彼女を見ていない。どこか遠くを想うこの視線を、セリスはよく知っている。
 先程まで、一人で居る時によくそんな表情をする男の部屋に居たのだ。セリスには向けないその視線を今、別の人間で真正面から見詰めれば歯痒さに下唇を噛んだ。きっと彼もロックと近い痛みを抱えているのだろう、そう口元に手を当てて考えるとセリスに僅かな隙が出来てしまった。
 その隙をエドガーが見逃すはずも無く、手元に置いた指先を絡め取られる。絡まる指と重なる掌から伝わる体温。振りほどくにも、既に距離は縮められて迂闊に抵抗すれば身体ごと抱きしめられてしまいそうな距離。

「私は君の心が、アイツの物だと知っていたから立場を弁えていただけだ」

 急に感情の色を鮮やかにしたエドガーの声に、からかうような調子が消えた。近付く声の反響。後ろの壁からも、自分の身体にも反響した低い真剣な声のせいで、籠に閉じ込められた鳥のように、セリスは身じろぎすら出来ない。息を潜めながら彼を見返せば、酒に酔った様子も無い。
 エドガーのいっそ憎しみでも篭もるかのような苦い表情と眼差しからは、内側に篭もる熱が放出されている。

「……私は、誰のものでもないわ」

 繰り返された言葉は彼女が出来る精一杯の抵抗。だが、それがエドガーの感情を煽り立てるとも知らずに、呟いてから彼女は視線を逸らした。なんとかこの場を切り抜けようとセリスは思考を全力で回転させていく。

「私は、孤児よ。出自から考えてもお遊びは程々にしていただけるかしら、陛下。王族の愛人になんて私はまっぴらよ」
「私の母は、修道院の孤児だった。フィガロでは出自を蔑む者など、居ない」

 吐き棄てるように告げられた言葉がセリスの胸に刺さる。セリスは、最近までガストラ帝国の将軍であったが故に近代史には詳しい。フィガロが国を成すまでの間、砂漠の民が如何に苦しい立場にあったのか、をよく知っている。百年ほど近く前までは蔑まれる立場だった所から起こした機械大国、それがフィガロなのだ。

「君の心が、ロックのものじゃないと言い張るのなら、」

 区切られた言葉の次に塞がれた唇。数瞬の間。重なる乾いた細い唇から外された時に零れ落ちる熱い溜息。

「俺だって、本気を隠さなくていいんだろう?」
「何してるのよ!」

 セリスが自分の顎を掴む手を振り払って手の甲で口元を抑える。だが、掌でも彼女の顔が火照るのを隠せはしない。エドガーが言葉にしたのは、宣戦布告だとその行動で理解出来た。
 エドガーが視線を外してセリスが来た道へ顔を向け、口元だけで笑う。まだ余裕の残る彼の顔は至って涼しげだ。何を見ているのか横目でセリスが追おうとすると、エドガーの片手で口元を隠していた手首を取り払われてもう一度唇を塞がれた。
 優しく唇を舌先でなぞってから、セリスの耳に小さな囁きを残して、彼は彼女を解放した。エドガーがセリスの身体と距離を取り、セリスが来た方向へ肩を竦めて見せると、「またあとで」と彼は身を翻す。
 エドガーが肩を竦めて見せた方向へセリスが顔を向ければ、そこには先程まで部屋に居たロックが静かに立っていた。

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