現代パラレル第二段。大学生ロックと狙われた仔猫セリス。
【超簡易設定】
● ロック=コール:六畳一間で暮らす山岳サークル所属の超貧乏学生ロック。バイトはやたらと掛け持ちしている。
● エドガー:ロックの友人。金回りが非常に良く、ふらっと現れてはロックにバイトを持ちかける。
● セリス:ねこ。基本的に人間語を理解している。
元々は、旧サイトで拍手小話だった「くっきんぐ」を、一周年記念で「はじめまして!」に連作短編へ格上げ化した小話。(2010/07/08当時)
その後、拍手小話が変わるとよく追加されていました。時間順に並ぶかどうかは連作なので不明。
※短編集に2011/06/12収納されました。気が向くと追加されます。
[ はじめまして! ]
風の強い日、頭にバンダナを付けた青年は大学の講義を終えて学舎から自宅への帰途につく所だった。
(今日はバイトもねーし…山岳サークルもしばらくねぇし、どーすっかなぁ)
普段から、バイトを掛け持ちして慌ただしい生活を送っていたバンダナの青年は、珍しくぽっかり空いた予定の無い日を持て余していた。
なんとなくアパートに帰る気にもなれず、ブラブラと遠回りして帰路を歩くと、友人から携帯に電話が掛かってきた。
着信表示はエドガーになっている。
「どしたー」
開口一番でロックは用件を訊ねると、エドガーは切羽詰まったような声を出した。
『頼みがあるんだが、お前んちに行ってもいいか』
「構わないが…どうしたよ」
友人の焦りように不安と嫌な予感を感じながら、連絡を終えて携帯を閉じる。もう一度携帯を開いて時間を確認すると、携帯をポケットへ押し込み、ロックは急いでアパートへ戻る事にした。
彼が自宅に戻ってほんの少し後、まるで後を追うように友人が玄関のチャイムを鳴らした。
友人が不似合いなペットキャリーケースを持って訪ねてきた事に嫌な予感は的中したと、ロックは思う。
エドガーはこの通り、と両手を合わせてロックを拝み倒す。
「少しの間でいいんだ。預かってくれないか」
「勘弁してくれよ…」
エドガーは猫を預かってくれ、と頼みに来たようだが、少し様子がおかしいとロックは長年の付き合いからか感じ取っていた。
姿は見えずとも、キャリーケースから聞こえる声は猫で間違いはない。
ロック自身、動物は嫌いでは無かったが、どちらかといえば犬の方が好きだと自分では思っている。
それに、猫を預かってしまえば、泊まり込みでの気楽な一人旅は出来なくなるし、山岳サークルにもでにくくなる、という趣味の点でのデメリットが大きくのしかかっていた。
「………バイト代は弾む」
ぴくり。
ロックの耳が僅かに傾いた事を感じたエドガーは攻勢に出た。
「彼女の世話費用と、別にお前にバイト代を出すつもりだ」
胡座をかいて腿に肘をつき、手に顎を乗せて横目で邪険にしていた筈のロックは、そこでようやくエドガーに向き直る。
どうやら此方を値踏みしているようだとエドガーが勘づき、勝機はこちらにある、と口元を歪ませた。
ロックが手のひらから指を開くようにして片手を前に出すと、ふっとわざとらしい溜め息と共にエドガーは両手のひらを見せた。
「じゅっ……! お前本気か?」
「むしろ少ないつもりだがね。しかも、一ヶ月で、十万だ」
ごくりとロックの唾を飲み込む音が聞こえる。
バイトを掛け持ちして生活費と学費を払っているロックにとっては、毎日餌をやって簡単な世話をするだけでプラス十万は破格の数字だ。
「その代わり、丁重に扱ってくれよ」
とエドガーは言って、猫用のカバー付きトイレと食器を車から出すためにエドガーは席を立った。
玄関で靴を履きながら、気が付いたとばかりに振り返る。
「ああ、お姫様をキャリーから解放してあげてくれ」
おう、と安請け合いしてみたものの、ロックはこれからしばらく一緒に暮らす猫がどんな猫なのか不安で仕方がなかった。
扉がしまると同時にキャリーに向かうと、ジッパー式のキャリーケースの蓋を開ける。
奥からか細い声で「にゃぁ…」とだけ聞こえた。
「怖がらなくていいぞ」
咬まれる事を覚悟の上で手を差し入れてみる。
匂いを確かめているようで少しくすぐったい気持ちになった。
「しばらく俺と暮らすから慣れてくれよ」
見えない猫の頭を撫でると毛が長いように思えた。
長毛種かと想いペルシャ猫を想像すると、すこしだけ爪を立てられた。
「いてっ、警戒すんなって」
仕方なく、両手を差し入れて猫の胴を掴む。
そこで、何か触り心地がおかしい事にロックはようやく気が付いた。
(服、着てるのか?)
ふしゃあっという威嚇の声が聞こえたが、無理やりキャリーから出してみる。
そこで初めて、ロックはこのバイト代がやたらと高い理由を知った。
金の長い髪、青いつぶらな瞳。
彼女は、猫の耳と尻尾をもつ、小さな人型の何かだった。
扉が開く音がして、硬直したままのロックが我に返る。
蜂蜜色の長髪を結んで揺らした友人は、荷物を抱え笑顔でロックを見た。
整った顔立ちも今は見るだけで憎いのか、憤りを隠さないまま、ロックは吐き捨てた。
「――…図りやがったな」
「誰も猫だとは言っていない。勘違いしたお前が悪い」
確かに、エドガーは一度たりとも猫と表現した事はなく、彼女、レディ、お姫様、などと呼んでいた。
エドガーはいつでも女性をそう表現するので、ロックは単純に、猫でもメスならそう呼ぶのだろうと勘違いしたのだ。
しかし、実際は猫サイズで猫のパーツを持つ女の子――。
「なんだよ、こいつ」
「まぁ、そう言うな。彼女はちょっと訳ありでな」
美味しい話には裏がある…か、そう呟いてロックは猫らしき彼女を高く持ち上げて見つめ直した。
真っ正面から見てみれば、案外可愛いものだと思うが、ガブリと噛みつかれて心の中で前言撤回した。
いてて、と言うがロックは抱き直すだけで離したりはしない。
彼女を離したら走り回って隠れてしまうだろうと予測がつくからだった。
その様子を見ながらエドガーは溜め息をつく。
「彼女は人が嫌いでね」
エドガーは淡々と彼女が人嫌いになる理由を話した。
エドガーの知り合いである大切な人から無理やり引き離された挙げ句、新しい場所で実験や研究を繰り返され、人間不信になり脱走してきた彼女を、エドガーが何らかの手段で捕まえてきたらしい。
「……人間不信が治ったら、こいつは連れ戻されるのか」
ロックは彼女に同情した。
彼女も猫生(?)があっただろうに、と呟くと、咬まれるのも気にせずにそっと抱き締めた。
「いや、私はそうならないようにするつもりだよ。その為にも協力してくれないか」
「そんだけバイト代が払えるって事は、エドガーに利益がないわけじゃないだろ」
ロックが言いたいのは、やはりどこに戻っても彼女が研究や実験の対象になるのではないかという懸念だ。
だが、エドガーはあっさりとそれを否定した。
「いや、彼女を実験材料として攫った人物を捕まえる」
意外だとばかりにロックが顔を上げた。
それが何の利益をエドガーに生み出すかが理解出来ないからだというのもある。
それよりも、エドガーの顔が女性の話をする時の顔ではなく、あまりにも真剣な声をしていたからだ。
「だからまだ、彼女を大切な人の元に戻すのは危険でね」
「…それで、何の関係もない俺の出番って事か」
ついでに、エドガーには大切な人から何かがあるという事だな、とロックは心の中でコッソリ溜め息をつく。
天涯孤独の貧乏学生でしかないロックが、経済界屈指の御曹司であるエドガーとは見ている視点が違う。
だが、彼女を守りたいという気持ちにさせられたのは確かで、それだけはエドガーと共通しているのだろう、とロックは考えた。
「……名前」
「なんだ突然」
ロックが急に呟くので言われた単語が理解出来なかったエドガーが聞き返す。
「名前、なんていうんだよ、コイツ」
「あぁ――」
友人は一通り世話などの説明を終えると、今日はまだ用事があるからと言い残して部屋を後にした。
しばらくもがいていた彼女は疲れてしまったのか、ぐっすりとロックの腕の中で眠ってしまっている。
「……俺が、守ってやるからな、セリス」
彼女の名前を口にして、これから宜しくなと薄金色の細い髪を撫でるのだった。
◇にゃんこセリスcooking◇
「おい、大丈夫か?」
「にゃ~!(任せなさい!)」
セリスは、小さなプラスチックナイフを持ち、人参に向かって格闘を始める。
どうやってもじゃれついているようにしか見えないが、横目で見ながらロックは米を研ぐことにした。
「無理だったらすぐ言うんだぞ」
「にゃっ(失礼ねっ)」
人参を剥き終わるのが、全て料理が出来た後になると予測したロックは、今日は肉じゃがを諦めて人参を使わない料理にしようと考え直す。
もう一度、セリスを見れば、耳を伏せながら両手で人参のヘタを何度も登っては切ってを繰り返している所だった。
目にはうっすら涙が滲んでいる。
「…電子レンジで温めて、後から追加するか」
(使わなかったりして冷凍したら、多分泣くよな)
「にゃにゃにゃっ」
横で鳴き声のする最中、肉じゃがの準備しはじめるロックなのだった。
*****
(セリス、お前は玉葱抜きな)
(にゃ~…)
ドライヤー
「何、拗ねてんだよ」
ロックに背中を向けて壁際に佇むセリスが、白い尻尾を大きく膨らましているのがわかる。セリスは小さな舌を出して、一生懸命に毛繕いに励んでいた。
卓袱台の上を濡れた布巾で掃除しながら、ロックは溜め息をついた。
「お前がマグカップ倒すからだろ」
ほんの小一時間前に遡る。セリスは、自分の与えられたミルクではなく、ロックの飲んでいたミルクティーのマグカップによじ登って見事倒したのである。床と周辺だけを拭いて、慌ててセリスを風呂場に連れて行ったのは致し方のない事。
シャワーを嫌がるセリスを無理やり抑えて洗い終わると、フェイスタオルをくわえて風呂場から逃げ出したのだ。
「床濡れてるし…」
しっかり絞った布巾で床を拭くと、乾いたフェイスタオルをもう一枚出してセリスに近付いた。上からそっと撫でようとすると、「フーーッ!!」お怒りの威嚇をされる。
良く見ると、セリスはちょっと涙目だった。
「…んな顔するなよ」
無理やりフェイスタオルでタオルドライしてやると、問答無用で噛みつかれた。
「いてっ」
手の甲に小さな傷痕が出来、血が滲む。セリスがフェイスタオルをくわえて、部屋の隅に逃げていくのを見たロックは、諦めて布団を敷くのだった。
「ドライヤーしてやるから」
部屋の隅でうずくまって震えるセリスに近付いて、首の後ろを捕まえた。カチリと音を立ててドライヤーを当てると、暖かいのがいいのか、案外大人しくなる。頭髪部分も乾かそうと頭に温風をあてると、耳に当たるのは若干苦手なようで、頭を必死に振る。大体乾かし終わると、またカチリと音を立ててドライヤーを止めた。
「明日早いから、もう寝るぞ」
電気を小さな朱い玉の光にして、ロックはスウェットの上下に着替える。ドサリと敷き布団に倒れ込むと、毛布と掛け布団を口元まで引き上げた。
「おやすみ、セリス」
すっと寝ようとすると、枕元にセリスが近付いてくる気配を感じる。先程、セリスが噛み付いた手の甲をじっと見詰めているようだ。
「にゃぁ…」
か細い声で鳴くと、セリスはそっとザラザラした舌で手の甲を舐めた。少し痛いと思ったが、敢えてそのままにする。
(気にしてんのかな)
匂いを嗅ぐ動作をしてロックが起きない事を確認するセリス。ロックが寝たふりを続けていたら、ザッザッと何かを掘るような動作をしながらセリスが布団に潜り込んだ。
ふわふわの尻尾が段々と熱を帯び、寝息を立てたのがわかる。
(素直じゃねーけど、案外可愛いもんだな)
暖房器具のないロックの部屋で、一番暖かい暖房代わりが出来たな、などと思うロックであった。