僕らの年戦争
[Happy Birthday Figaros!]

第4話~第5話



第4話:18年を乗り越えた二人と

 

「―――これより、王弟マシアス・フィガロの正式な帰国を祝い」
「え、えええ?!」

 大臣の説明に聞き覚えのある名前が出て、驚きの声を上げてしまう。声に出してからリルムは慌てて口を押さえた。マッシュは、この国と絶縁して出家した身である。
 彼らの父親と伯父が起した継承権争いを忌み嫌い、二人が別つ事にしたと聞いていたリルムは何事があったのだろうと考える。目の前には、巨体に白の正装をしたマッシュの姿。神官のような正装に、後ろ髪を切ってしっぽのない髪形をしている。

「キンニク男、やればイケメンじゃん……」

 茫然としながら人混みを掻き分けたリルムが思わず呟く。大臣の声は彼女の耳にうまく入ってこない。静謐の瞳をした真剣なマッシュに、悠然と微笑むエドガー。彼女の思考を占拠するのは二人の映像だけだ。
 エドガーの前で片膝を着いたマッシュが、王弟として叙勲任命されていく。これで、フィガロの二人は18年の時を経て、共に暮らす事が出来るようになったのだ。
 うっすらと込み上げる涙を目の端に堪えて、その様子をリルムは焼き付ける。いつか、この二人が並ぶ絵を描くために。

「そして、お集まり戴いた皆様にもうひとつお祝いしていただきたい事がございます」

 粛々と行われた叙勲式の後に、エドガーの声が響き渡る。こうしてエドガーが大衆に響かせる声は、広間によく通り威厳に満ち溢れて他を惹きつけた。
 マッシュとエドガーの視線が、横の一点を見詰める。扉が開く音がして、そこに聖女と見紛う白いドレスの女性が現れた。

「ティ、ナ」

 子供達と遊ぶ時は邪魔になるからといつも結い上げていた翡翠の髪が全て下ろされ、白いヴェールに包まれている。腰でV字に切り替えられた白のウェディングドレス。足首からちらりと見え隠れするサムシングブルー。もう数年前に出遭った表情の薄い少女ではなく、一人の美しい女性。
 ティナがマッシュの横に並ぶと、彼らの成婚をエドガーが発表した。

「やだ、なにこれ」
(つまり、ティナはもう子供達を相手にしなくてもよくなったから、髪を下ろしているんだよね)

 目の端に堪えたはずの涙がリルムの瞳から零れ落ちる。湧き上がる歓声と祝辞の嵐。全て捨てる事でしか自由を得る事が出来なかった人生を送ってきたマッシュとティナが、成婚した。
 リルムが当時わからなかった二人の辛さを、大人になるに連れて徐々に理解したマッシュとティナの人生の哀しみを、仲間として万感の想いが駆け巡る。
 マッシュが、ティナだけを見詰めて穏やかに微笑む。
 ティナが、マッシュだけを見詰めて幸せそうに微笑む。

「マッシュ! ティナ! おっめでとぉおおお!」

 他の人間に負けじとリルムが両手を振って大声で祝辞を叫ぶ。広間は混乱するような大歓声に飲まれている。エドガーが神父の役割を果たして二人が口付けを交わした瞬間から、歓声は鼓膜を裂きそうな程大きくなっていた。
 ボロボロと零れる大粒の涙。涙で上手く全てを見渡せないリルムは、エドガーの髪に先程渡したはずの髪飾りがつけられている事にまだ気がつかなかった。

 


第5話:今日が僕らの終戦記念日

 広間ではそのまま無礼講のパーティが行われ続けている。エドガーも何人かと話した後、ティナの横で涙を零し続けるリルムを見てくすりと微笑んだ。
 その後、ティナから離れてどこかへ駆け出すリルムをエドガーが視線で追う。その方向を記憶したまま、別の人間に話しかけられたのをエドガーは優雅な笑顔で受け容れた。

 化粧室で化粧を直しても、泣いて腫れた顔が元に戻るわけではない。せめて少しでも浮腫んだ瞼が元に戻るようにと、彼女は夜風に当たれるテラスへ足を運んでいた。

「くっそー、こんなんじゃ可愛くないよ…」

 化粧室で見た自分の腫れた顔を思い出してリルムは一人大きく深呼吸をする。砂漠の夜は夏でも恐ろしく寒い。突き刺す夜風をきゅっと睨みつけると、後ろから水色の外套がかけられた。

「誰が可愛くないって、お姫様?」
「うっさい、こっち見んな」

 顔を向けずとも声でわかる。その気障な挙動で誰かがわかる。くっくと喉の奥で笑う声に怒りすら感じて、リルムは声の主を蹴り上げてやろうかと振り返った。
 振り返ると、既に笑っていた表情ではなく、真剣な眼差しの知らない表情をした男と視線がぶつかる。こんな表情をした彼を、リルムはまだ知らない。

「な、なによからかいに来たの?」

 心にもない悪態をつくと、エドガーは気にした様子もなくリルムの隣に並ぶ。広がる砂漠の地平線を見詰めて、彼は答えをを返さない。いつもなら『そんな事を可愛らしいお姫様にするわけがないだろう』とか何かしらの反応があるはずなのに、彼は無言で黙ったままだった。
 何を期待していたのか、とリルムは自己嫌悪する。エドガーだって、マッシュの帰国と成婚で胸がいっぱいのはずなのだ。今は自分に構っている時などではない。どう言葉をかけなおそうか悩んでいると、不意にエドガーから言葉を発された。

「心配していた件も片付いたし、髪を、切ろうと思ってね」
「へ?」

 思わず見上げたエドガーの後頭部に、数時間前リルムが渡した誕生日プレゼントが身に着けられている。7年間で初めて見る自分のプレゼントを身に着けたエドガー。だが、この男は何を言ったのだろう。

「……髪を、切る?」
(もう、リルムのプレゼントは、いらないって事?)

 最後の同情に髪飾りを着けたのだとしたら、リルムにとってはこの上ない侮辱である。それならいっそ、ずっと身に着けないでいてくれればよかったのにとさえ感じられた。
 引っ込めた筈の涙腺が、またじわじわと湧き上がってくる。

(苦しい。こんな気持ち、知らない)
「ふーん、切っちゃえば。長いのが好きなんだと思ってたよ」

 自分の動揺を悟られまいとリルムはエドガーにまた悪態をついてしまう。これではいけないと頭でわかっていても、彼女は自分の心を守るので必死なのだ。
 ぽろり
 彼女の大きな瞳から、零れ落ちる星。エドガーが振り返る気配がするのがわかるが、視線を向けられない。しゃがみこんだエドガーが下から見上げるようにリルムの顔をまっすぐに見詰める。

「そう思うなら、どうして泣いているんだい」
「知らないよっ……!」

 一度溢れた思いは留まる事を知らない。両手で顔を隠そうとするリルムの手を遮って、エドガーはリルムの頬に零れ続ける涙を親指の腹で拭い払った。
 頬に当てられる掌の感覚が余計にリルムの辛さを助長してしまう。ベレー帽を落として顔を隠そうとすれば、「こっちを見て」と目の前で囁かれる。悔しくて涙を零したまま大きな瞳で睨みつければ、その視線を真っ直ぐに受け止めるエドガーの視線と衝突した。

「これまで、私は背負うものが多すぎた」

 エドガーが何を語らんとしているか、混乱するリルムの思考では読みきれない。片方の頬に当てられた掌は外されぬまま、リルムの左手はエドガーの右手に絡め取られた。

「でも、これでようやく終わる。あの日から7年。ずっと、この時を待っていた」
「何を、待っていた……って」

 涙で上擦る声は、高さも相俟って自分でも聞きにくいとリルムが思う。7年という言葉に、リルムはこれまで彼にプレゼントしたリボンや髪飾りたちを思い出す。最後にプレゼントした髪飾りは月明かりに反射して綺麗に煌く。
 涙でぼやけた視界でも、蜂蜜色の金髪によく映えている事がわかる。

(うん、似合ってる。このデザインにして良かった)

 最後に、身に着けてもらえて良かったな、と純粋にリルムは思った。思わず、自分の思考に笑顔を覗かせたリルムはの視界から、その髪飾りが見えなくなる。
 一瞬何が起きたか解らず、耳に感じる規則正しい鼓動に現状を把握した。背中に回された腕が肩から掛けられた外套越しに暖かさを感じさせる。抱きしめられた、と理解した後で、リルムの思考はまた混乱し始めた。

「フィガロで男が髪を切るのは、心に決めた人間が出来た証。これで、君と過ごした7年の冷戦を終わらせたい」
「え、えぇ、ちょっと待ってよ」
「君が、18歳になる日に迎えに行きたいんだ」

 リルムが18歳になるのは来月の事。その日に、迎えに行きたいと言われた事の脈絡が上手く繋がらず、必死にリルムは考える。

(髪を切るのは、心に決めた人間が……でもそうしたらリルムの髪飾りがつけられなくて。あれ、そういえばさっきキンニク男も髪型変わってて……あれ?)

 ぐるぐる回る思考と、顔に感じるエドガーの鼓動が早くなる音。ようやく符合する辻褄に、驚き以外が出てこない。
 つまり、リルムがエドガーに喜んで欲しくてしていたプレゼントは、彼を牽制する物でしかなかったのだ。彼が髪飾りを着ける事を躊躇う理由も、今なら理解出来る。

「バッカ、そーいう事はもうちょっと早く言えっての……」
「君から貰うプレゼントが嬉しかったんだ。それが欲しくて髪を切れないなんて様、男として格好悪いだろう?」

 耳のすぐ横で、バツの悪そうな照れたような声が聞こえる。きっと、エドガーも顔を見れば自分の頬のように赤いのかもしれないとリルムは思った。見ようとしたら、後頭部を抑えて更に抱きすくめられる。それが可笑しくて、リルムは笑う。

「また、伸ばせばいいよ」

 滑り落ちてきたエドガーの長い髪を、捕まえられた腕の中で掴む。指先に絡んだ蜂蜜色は、リルムの創造心をくすぐるのだ。腕の中で微笑みながら、次に作る時は短くした髪から少し伸ばした髪に似合うデザインを、と彼女は考える。

―――これで、僕らの7年戦争は終結を迎えるのでした。

- Fin -


illustration by ちゅうさま