鳥篭の軍人が見る夢

 

image songs by ラフ・メイカー ver.Lock×Celes


 高く聳える帝国の要塞。気が付いたら彼女は涙が止まらなくなっていた。小さな部屋に、涙が零れて溜まる。もう、かれこれ一週間は泣き続けただろうか。

――あぁ、これは夢か

 夢でなければ有り得ない。セリスは現在魔導実験中であり、幻獣たちの力を蓄えた透明なポッドの中にいるはずなのだ。
 室内は大洪水、水の感覚もある。きっと夢の外で自分が魔水に浸かっているのが原因だろう、そうセリスは断じた。
 夢の世界を見渡せば、5畳もない広さの牢獄のような部屋。ベッドだけは自分がいつも使用しているものだと気付くと、涙を流したまま溜め息をついた。
 この部屋で、夢の中だけでもと彼女は泣き続けた。

――氷の魔女。全ての戦に引き分けはなく、灰色の無い“常勝”。

 少女は人をこの手で殺める度、心の花を散らす。紅い鮮血と共に散る希望というなの花を散らし続けて数年。心の中に咲く花は枯れ、いつしか凍てついた花が胸を占拠するようになっていた。
 この胸に痛みを感じる度に、操りの輪を付けた少女を羨ましく思いさえする。こうして、自らで考える事によっての痛みなど知らないで居られるのだから。操りの輪が外れた後など、今の彼女にはどうでも良かった。

――心まで奪われて操られたら、楽になれるのに

 夢の中の彼女は、またベッドに横たわって泣き続けた。横を見ようとしたら、ベッドのマットレス近くまで涙で溜まった水位が上がっている。それを見ながら、ぼんやりと「いつか、涙の海に沈めるかしら」とセリスは自嘲しながらまた水位を上げた。
 突然、コンコンとノック音が部屋に転がる。泣き腫らした顔で、今は誰にも会いたくないと夢の中の彼女は考えた。それでも出ないわけにもいかない。涙が止まらないままでは、嘗められてしまうとも考えたセリスは「誰だ」と嗄れた声で凄んだ。
 扉の向こうからは、見知らぬ男の声。「名乗る程大した名じゃないが」と、おどけた声が聴こえる。どうやら帝国兵では無さそうだ。

『誰かがこう呼ぶ、ラフ・メイカー』

「アンタに笑顔を持ってきた。…寒いから、入れてくれ」

――ラフ・メイカー?頭がおかしいのか?

「…そんなもの呼んだ覚えはない。失せろ!(…そこにいられたら、泣けないだろう?!)」

 叫んだ自分の言葉に目眩を覚えて、大洪水の部屋でセリスは座り込んだ。夢の外のセリスが、“外の魔導注入速度を上げたのか”と考える。
 幻獣から抽出した力を自分に侵入させる度、どうしようもなく高揚し、どうしようもなく悲嘆に暮れる。自分が自分でなくなる気がして――彼女は常に虚勢を張る事を選んできた。自分の進む道を、話し方を、男として生きる道を選んだ。

「…なのにどうだ、この様は」

 自分の止まらない涙に憎しみすら覚えて自分の太股に力一杯爪を立てる。痛みはないのに、視界に紅い鮮血が涙の海で滲むのが見えた。

――悲しい、哀しい、泣かせて欲しいの

「止めろ!」

 奥底に閉じ込めた自分が現れて涙を流し続ける。叫んでも、この夢の支配者は彼女だ。心の奥底で鍵を掛けた本当のセリスだ。
 また、ノックの音が飛び込んでくる。近付けばセリスが怒鳴るこの部屋をノックする物好きな人間などいよう筈もない。ただ、1人を除いて。

――あの男、まだいたのか

 ひとつ舌打ちをして、低い声音を出す。

「まだいたのか、道化師」

 チッチッチ、と口先を鳴らす音が聞こえて厭に腹が立つ。男は悪びれもせずに訂正した。

「ラフ・メイカーだよ。道化師とは大違いだ」

 悲しみより怒りが心を支配し始めて、セリスは感情露わにドアの向こうへ叫ぶ。自分を一人にさせて、気の済むまで泣かせて欲しいと願いながら。

「失せろと言った筈だ!次は無い!」

「…
悲しいの、我慢してるからその部屋から出られないんだろ?」

 セリスは自分の何を知っているというのか、と情けなさと悔しさ、苛立ちが沸点まで高まりついに嗚咽をもらしてしまう。ぐちゃぐちゃに入り乱れた感情は、自分の中をかき混ぜるようで気分が悪かった。

「…
笑ってて、欲しいんだ」

 男の言葉尻が涙声になっている。まさか、相手まで泣いてしまうとは思いもよらず、段々としゃくりあげるような息づかいがドアの向こうから聞こえてセリスは引き摺られるように更に涙を零した。

「何故、泣くんだ?ラフ・メイカーが泣いてちゃ、仕様がないだろう!…泣きたいのは、私の方だ!こんなチャラチャラしたもの、呼んだ覚えはない!」

 いつの間にか、二人は泣き始めていた。セリスはこれまでずっと声を上げずに泣いていた筈なのに、この男が声をあげて泣くものだから思わず声を上げて泣いてしまう。これまでただ泣き続けていただけのセリスは、ようやく感情の解放が出来た気がして、思い切り泣いた。
 二人分の泣き声は、遠く、遠く。
 ドアを挟んで背中合わせの二人はしばらく泣き続けていた。しゃっくり混じりの泣き声は、相手の泣き声なのか自分の泣き声なのか。
 どれくらいそうしていただろう、ついに座り込んで膝を抱えて背中合わせになった。相手も自分も、すっかり疲れた泣き声になっている。
 何故、この男は会った事もない自分の為に此処まで泣いているのだろう。時間の感覚は既に無いが、ずっとこうしていたような気がして不思議とセリスはラフ・メイカーを信用し始めていた。

「…今でも、しっかり私を笑わせるつもりなのか、ラフ・メイカー?」

 口から出た言葉は、自分でも思いもよらない言葉。ドアの向こうのラフ・メイカーは、悲しそうな疲れた泣き声のままで、確固たる意志を持って告げる。

「それだけが生き甲斐なんだ。笑わせないと帰れない」

 なんて、バカな人間なんだ。他人を笑わせる為だけに自分をそこまで捨てられるものなのか、そう思いながらも、セリスにはその決意が羨ましく思えた。
 カチャリ、鍵を開ける音と、ドアノブの回る音。どんな男なのか少しだけ覗いてみようと考えたセリスは、ドアを何回も回して引こうとする。 だが、ドアを引く事は出来なかった。ドアの下には溜まった涙が海を作り、さざめいてセリスがドアを開けようとすることに抵抗している。

「今ではアナタを部屋に入れてもいいと思えたが、困った事にドアが開かない。…溜まった涙の水圧だな」

 多分、まだ外で寒い思いをしているであろうラフ・メイカーに向けて、彼女はそう言った。このままではセリス自身、涙が溜まった部屋から抜け出す事は出来ない。この男なら信用しても平気なハズだと思えていたセリスは、姿すら知らぬラフ・メイカーに協力を要請した。

「そっちでドアを押してくれ、鍵なら既に開けた」

 だが、男の声は聞こえる事がない。まだ泣き続けて返事が出来ないのか、言われた事を気にしてセリスを窺っているのかと、もう一度彼女は声をかけた。もしかしたら、凍えて返事をするのが辛いのかもしれない、と。

「うんとか何とか、返事をしたらどうなんだ。…どうした?」

 そこまで言ってから、セリスはドアに耳を付ける。先程まで聞こえていた泣き声すら聴こえない。

「おい、まさか!ラフ・メイカー?…冗談じゃないわ!」

 今更、私1人置いて構わず消えた。あの男は信じた瞬間裏切ったのだ、そう思えた。姿の見えない男に向かって、もう一度名を呼び掛ける。
 膝から涙の海に座り込んで、姿すら知らぬ男を信用した自分が馬鹿だったのかと、頬に涙を伝わせた。

「…
ラフ・メイカー、だって?冗談じゃ、ない…」

 そう呟いた瞬間、逆側の窓が割れる音がした。
 振り返ったセリスが見たのは、鉄パイプを持って酷い泣き顔をした、頭にバンダナを巻いたブルージャケットの若い男。顔は逆光でよく見えない。まだ残る涙声で、彼は最初と変わらぬ言葉を告げた。

「アンタに笑顔を持ってきた」

 裏切ったわけでは無かった、不思議な安堵感がセリスを包む。思い切り割れた窓から器用に男が体を滑り込ませた。
 チャプン、と彼のブーツが涙の海に浸る音がして、セリスははっと我に返る。魔導実験室は地下だが、夢のこの部屋は帝国の5階にあるハズだ。男が使ったと思われるロープが、ゆらりと涙の海でうねる。

「ここ、5階だぞ
…」

「ラフ・メイカーに不可能はないんだよ」

 チッチッチ、と口先を鳴らして、人差し指を振る。さっきもこうやって見えないセリスに訂正していたのかもしれない。初めて見るラフ・メイカーの姿は、道化師というより冒険家に近い旅装束だなとセリスは思った。
 不思議な安堵感が包み込む。魔導注入が安定したのか、と夢の外にいる自分が冷静に分析した。ひどく不安定な自分を抑えると、必ずどこかで安定を求めてしまう。この男の事は見た事もないが、セリスにとって安定剤をカタチにして映し出した結果なのだろうと思えた。

――旅の者なら、私をここから連れ出してくれればいいのに

 ジャケットの内ポケットから小さな鏡を取り出して、セリスに突き付ける。映り込むのは、泣き腫らして酷い顔をした自分。まだ涙の残る笑顔で、彼はこういった。

「アンタの泣き顔笑えるぜ?」

 セリスはひどく呆れた。頑張れ、でも無理するなでもなく、ただあるがままの自分を笑わせようとこの男はしているのだ。
 覗き込めば、酷い顔をした鏡に映る自分と、同じく泣き腫らしたラフメイカーの顔を見て――「成る程」そう言ったセリスは、困ったように笑い始めていた。

- ロクセリ編 Fin -