ティナ's BIRTHDAY
もうひとつの7年戦争

第4話~第6話



第4話:二人の胸にある答え


 一歩一歩、ゆっくりと煉瓦で出来た柱だけで支えられるデザインの階段を上る。最近できたばかりの教会は、誰にも開け放たれていて、深夜でも塔へ上ることが出来たからだ。
 風通しのいい螺旋階段は、一歩上るたびに、心臓の鼓動を跳ねさせる気にさせ、踏み締める度にそれをティナは押さえつけた。

(大丈夫って言われたけれど)

 色々な苦難や試練を乗り越えたロックとセリスが言うのだから、彼らの言葉に間違いはないのだろう。
 それでも彼女は考える。ママと呼んで慕ってくれている子供たちと一緒に暮らし続けることが出来れば、マッシュと一緒に居続ける事は可能だろう。だが、その場合、恋人になる事も出来ず、今の現状のままだ。
 もし、マッシュが聖職者である事を辞めれば、ティナの想いは叶う。だが、その時点から彼のフィガロ国における王位継承権が復活せざるを得ない。例え低い継承権だとしても、元々王位継承権並列第一位であった王子の彼がモブリズに住む事は許されないだろう。

(私が、マッシュを好きにならなければ良かったの?)

 眠れなくて起きたティナが飛空艇の縁で夜明けを見ているマッシュを見つけて喋りあった日もあった。モブリズに戻ってから寄り添って草の匂いを嗅いだ日も、飛び出した子供を一緒に迎えに行って見上げた夜空も、ティナが思い出すマッシュとの思い出は両手で数える事が出来ないくらいに溢れている。
 ひとつ思い出すたびに胸の奥が痺れるように痛くなり、ティナは心臓の辺りを押さえた。

(ただでさえ、私は幻獣とのハーフ。王子様と結婚して世継ぎを残せない可能性だって高い)

 世継ぎを残せぬ出来損ないの正室など、フィガロの王が許しても国は許さないだろう。その事が理解できるくらいには、ティナも世の中を知るようになっていた。
 胸元の衣服を握りしめて、彼女は必死に堪える。
 泣きたい気持ちを、それ以上の気持ちを。

「……会いたい」

 零してしまった言葉は、溢した珈琲の染みが如くじわりじわりとティナの心を蝕む。いつの間にか、そこに居るだけで嬉しいと思えたものが、居ないと苦しいと思うようになったのはいつからだろうと彼女は記憶を遡らせた。
 会いたいと思わなくても会えた日々を思い返してティナは翡翠の瞳を陰らせる。

(こんなに、儚い言葉だったの?)

 生まれてからの18年近くを奪われていた彼女の知識や経験はあまりに乏しい。世界が崩壊してから芽生えた愛という感情を知ってから今までの7年は、ティナにとって目まぐるしいものだったのだ。
 これが彼女にとっての初恋なのかもしれない。
 階段を登りきって扉を開けると、大きな教会の鐘と冷たい夜風がティナを迎えた。

(なんて、脆くて、姿のない)

 人知れず、誰にも見られない場所へと移動した先で、彼女は大きく呼吸を吸う。彼女の誕生日は、夜が明ければ始まる。
 明日になれば、約束の日だ。どんな結果になろうとも、マッシュが約束を違えるはずなどない。つまり、夜が明ければ彼女たちの運命は決してしまう。
 会いたいと思う気持ちと、この想いを捨てられたらという思いが交錯する中、彼女は眠りに就き始める街並みを見た。

(マッシュは、私に同情して嬉しいって言ってくれていたら)

 曲がりなりにも彼の人生だけでなく、周囲の色んな人生を変えてしまう決断をマッシュが同情だけでするわけはない。それでも、人が好いマッシュがティナをとても大切に扱ってきたからこそ、彼女は疑ってしまうのだ。
 醜い気持ちを捨てるように彼女は大きく息を吐いた。夏の暑さはどこへやら、夜風が彼女の肩を冷たく刺す。寒さにケープを羽織った肩へティナが手を当てた。
 男女がする恋愛のことなど分からないティナでも、いまこれだけははっきりと理解できる。

「ずっと一緒に居たい……」

 正直なこの気持ちを、ティナは心に留めておくことができず言の葉に乗せた。町を見渡す教会の上から風に乗った言の葉は、今この町に居ない筈のマッシュへと届くだろうかと考えながら。

「俺も」

 ふわりと、ティナの背後から腕が回される。ティナの前で重ねられた腕と耳の後ろに感じる温もりがティナに振り返ることを許さない。
 聞きなれた声で誰かがティナには理解できる。少し屈んで抱きしめているのだろう、ティナの耳元に彼の唇が当たるのが分かった。
 ここに今居ない筈の声は、自分が作り出した願望かと、ティナはおそるおそる下していた片手を彼の逞しい手に重ねる。少しだけ、いつもより体温が熱い。

(どうして、ここがわかったの?)
(どうして、いまここにいるの?)
(貴方は、どんな選択をしたの?)

 訊きたい事は幾らでもあった。それをすべて越えて、ティナは一言だけ呟いて背中にある温もりに体重を預けた。

「おかえりなさい、マッシュ……」

 


第5話:寄り添って見つめる瞳私だけのもの

 

 互いの背中と胸に感じる温もりが心地よくて、二人は暫く無言の時間を過ごした。夜の紺碧が薄らいだ頃、ティナが伏せた瞳を開ける。少し見上げて彼女の髪に触れるマッシュを見た。
 腕も、いつもと違う真っ白の長袖服。触り心地が好い上質な絹で織られた衣服は、今までとても砕けた格好ばかりしか見ていなかったティナにとって、マッシュの全体が想像しにくい。
 真正面から彼を見たくなってティナはきゅっとマッシュの腕を押し返した。簡単に解かれる腕の鎖。くるりと回ってマッシュを見上げると、後ろだけ少し伸びた部分を綺麗に切り揃え、短くなった蜂蜜色の髪。真っ白な正装は水色や蒼色の糸で刺繍が彩られ、暗い赤紫色の外套は暗い金色の刺繍で縁どられている。

「マッシュ……?」

 戸惑いを隠せず、薄紅色のケープをティナは握りしめる。マッシュがいつもと違う格好をしている事が、まるで遠くに行くことの予兆のようで、会いたくて泣きそうだったティナの顔が違う感情に塗り替えられる。
 困ったような、照れた顔でマッシュが後頭部を掻くと、「似合わないだろ」と笑った。
 彼は王族となる道を選んでしまったのかもしれないと思うと、途端に違う世界に分かたれた気持ちになり、ティナは唇を噛んだ。怖くなって、ティナがマッシュの胸へ飛び込んでしがみつく。

「行かないで」
「え?」
「どこにも、いかないで」

 だだをこねる子供のようにしがみつくティナに、マッシュは何を言われているかわからぬまま抱きしめた。耳元に優しく囁かれた「どこにもいかないって」という言葉は媚薬のようにティナの耳へするりと流れ込む。
 声が、吐息が、全てがティナの感情を熱くさせた。恋をした人からの温もりが、鼓動が、言葉が、こんなにも感情を左右させる。そんなことすら、今までのティナは知らなかった事だ。
 背中をぽんぽんと叩くように撫でられて、彼女はしがみつくその胸に涙を零した。

(私、こんなに泣き虫だった……?)

 こんな自分なんて知らないと、ティナは頭を振る。それがマッシュには『違う』と言われたように感じ取れ、困惑した。
 また、流れる少しの静寂。冷たい夜風でティナの体が冷えてしまわないように、マッシュはそっと自分の外套の内側へ入れてティナを包む。
 包まれた感覚に、ぎゅっとしがみついていた指先をティナが緩める。それを見逃さないように、マッシュはティナの顔が見える位置まで、自分の着る外套に包んだまま少しだけ身体を離した。
 出来る限り明るく、何でもない事のように、マッシュは唇から言葉を紡ぐ。

「俺、破門されちまった」
「えっ」

 目を丸くして驚いたティナの瞳は、先ほどまで零していた涙も忘れて今度は翡翠の瞳を零してしまいそうになる。ははは、と明るく笑って、マッシュはティナの後頭部に触れて、今度は自分の顔の近くになるように背を丸めながら抱き寄せた。

「自由になったんだなって思ったら、俺、すごくティナの顔みたくなったよ。だから…」

 頬が重なり、耳元で紡がれる言葉がティナを甘やかしていく。蕩ける音に、もう一度眼を伏せて、されるがままにティナは体重をマッシュへと預ける。

(この人の言葉だけで、私の体が軽くなるみたい)

 ふと離れる頬。もっとその温もりを感じていたいのにと思ったティナの心を見透かすように、ティナの唇に、初めての感触が訪れる。やわらかくて、薄い上唇と少しだけ厚めの下唇が、小さな蕾のようなティナの唇に重なった。

「誕生日おめでとう、ティナ」

 唇を重ねられたまま呟かれた音は聞き取りにくかったが、もっとその温もりが欲しくてティナはマッシュの太い首へ腕を回す。すぐに唇を離されてティナが目を薄く開けると、恥ずかしそうに顔を赤くしたマッシュが顔をそむけて横目でティナを見ながら言葉を重ねた。

「まだ、誰にも祝われてないよな?」

 彼はその為だけにこんな時間に帰ってきて、自分を探したのだろうかと思うと、さらに胸が熱くなる。
 「一番、最初よ」とティナが言うと、今度はその温もりを自分から確かめたいと、マッシュの頭を引き寄せて、二人はもう一度口付けを交わした。
 重なるだけの口付けで、満たされる心の全て。昇る陽が宵闇を打ち消していくように、その口付けはティナの不安も掻き消していった。


第6話:確かにそこには愛があって

 

 朝日が昇って、町に新しい生命が燈る。
 街を後にしたセリスはモブリズの方角を向いて、ロックに話しかけた。

「大丈夫だと思う?あの二人」
「大丈夫だって。フィガロの王様が誰か知ってるだろ?」

 軽やかに笑うロックに、セリスも笑顔になる。彼がこんな笑い方をする時は、決まって大丈夫だと知っているからだ。

「それもそうね」

 くすりと笑って、セリスはロックの腕を取る。街並みが太陽に照らしきられる頃、朝日に照らされた二人は緩やかに影を重ねた。

 


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 マッシュとティナが家に帰ると、そこには大人になった子供たち、ディーンやカタリーナが揃ってにこにこと笑っていた。扉を開けて面食らった二人が顔を見合わせると、ティナへ子供たちが駆け寄ってくる。

「「ママ、誕生日おめでとう!」」

 その言葉に納得しかけた時、一人の娘が急にティナとマッシュを見て泣き出してしまった。握った手の甲で一生懸命に涙を抑えようとしているが、彼女の涙は止まらない。青年一人が「泣くなよ」と慰めれば、娘につられたのかもう一人の元気な娘も泣き出してしまった。
 どうしたのかとティナが駆け寄ろうとすると、ディーンがティナを止めた。カタリーナも隣で笑顔のまま首を左右に振る。

「ごめんなさ、い。ごめんね、ティナママ。いままで、ごめんね……!」

 必死に嗚咽を堪えながら少女だった娘たちは口を揃えてティナへ謝罪を告げた。どうしていいかわからずにティナがマッシュへ助けを求めようと仰ぎ見た。
 すると、マッシュの後ろから、彼とよく似た蜂蜜色の髪を長く結った青年が顔をのぞかせる。今度はマッシュが思い切り驚いて、「兄貴?!」と声を裏返した。

「みんな、ティナが幸せになって欲しいんだよ」

 にぃっと広げた形の良い唇で笑顔を見せて、フィガロ国王その人は言った。ティナの背後では、少年だった“子供たち”が「バカ、笑ってプレゼントしようっていっただろ」とさざめき合っている。
 カタリーナが小さな子供を抱きかかえたまま一歩進んで、ティナの隣へ寄る。気配に振り返れば、カタリーナもまた、寂しそうな笑顔でティナに微笑んでいた。

「あのね、ティナ。私たちからプレゼントがあるの。受け取ってくれるかしら」
「ええ……」

 言われたプレゼントが何か思い当たらないままに、ティナは困惑したまま相槌を打つ。カタリーナが子供たちだった町の青年たちを見ると、それが合図だったように、全員が手を繋いで並んだ。
 一番最初に泣く娘を慰めた青年が口を開く。

「俺たち、ティナママにずっと頼ってきた」

 つられて泣き出した元気な少女が必死に嗚咽を収めてティナを見据える。

「私たち、この7年間、ずっと、ずっとママに頼りっぱなしだったの」
「だから」

 娘の言葉を引き継いで、ディーンが喋る。当時、セリス達がティナを連れ出そうとした時に一番反発したはずのディーン。彼も、何かを堪えたようにのろのろと口を開いた。

「俺たちは、ティナに、……。……自由を、プレゼントしたいんだ」

 両目にいっぱい涙を浮かべたカタリーナが、子供をディーンに渡して、ティナへ抱きつく。信愛の抱擁は先ほどまで子供を抱えていたためか、泣きそうになったカタリーナの体温が高くなった為か、仄かに熱さを伴っている。

「7年間、いままで……本当にありがとう。これからも、愛してるわ、ティナ」

 カタリーナの後ろから、「いままで、ずっとごめんね」とまた泣きじゃくる誰かの声が聞こえた。カタリーナに抱擁されたティナの肩が震える。
 エドガーがマッシュに目配せをして、合図を送る。苦笑いしたマッシュがティナの隣へ進み出ると、エドガーは綺麗によく通る声で、“モブリズの子供たち”へ告げた。

「みんな聞いてくれるね? 君たちのティナママは、これからもずっと君たちのママだ。でも、それ以前に一人の女性でもある。君たちを幸せにしようと頑張ってきたティナが幸せになるのに、異存はないね?」

 カタリーナが離れ、ティナとマッシュがエドガーを振り返る。多分、このプレゼントの仕掛け人はエドガーなのだろう。誰よりも弟の幸せを願ってきた兄だ。彼こそ、マッシュの為なら粉骨砕身の苦労を厭わないだろう。
 エドガーはウィンクして、今度はティナとマッシュに語りかけるながら微笑んだ。

「もう既に議会の承認は得てある。マッシュは、名実ともに、フィガロの王弟へと復帰可能だ。マッシュのたっての希望で、王位継承権は放棄されているけれど、ね」
「それじゃあ…!」

 全ての問題が、二人の道程から姿を消した。王位継承権を放棄したマッシュは、ティナとの結婚までまだ何かしら問題を抱える事にはなるだろうが、婚約までなら可能だという事になる。
 二人の後ろから、『おめでとう』と声が重ねられ続けた。それに感極まって、ティナが虹色の涙を翡翠の瞳いっぱいに溜める。

「不肖の弟ですが、貴女を幸せにする為なら命を懸ける弟です。どうか、フィガロに招かれてはいただけますか、レディ・ブランフォード?」

 祝辞の言葉が部屋中を飛び越して朝焼けが終わる小さな町中を包む。この苦難を乗り越える為にエドガーやマッシュ、子供たちの説得を手伝ったのだろうカタリーナたちがしてきた苦難は途方もない量である事はティナにも想像に難くない。
 生まれてきた意味を知る旅を超えた少女は、大人になって生き続ける意味を手に入れたのだ。

(子供たちが手を離れたら、私がいらなくなるわけじゃない)
(私がいないから、子供たちがいなくなるわけでもない)

「おれ、俺……ティナママにあえて、生きてて良かったって思ったんだ」

 子供たちの一人が懸命に涙を堪えてティナへ語りかける。ティナも両目の涙を堪えながら、必死に笑顔でそれに答えた。

「だから、今度は。ママが、ティナが、幸せになって、欲しいから。だから……」



 貴女に逢えた幸せを、
 生きててくれて、ありがとうを
 生まれてきたこの日にいっぱい詰めて。


- Fin -