STEP you
[1.2.3.4 You and Me]

第3話~第5話



第3話:Serenade / Side Celes

 

(準備って何をすればいいのかしら)

 セリスは、サマサの小さなカフェテリアにリルムとティナを交えて昼下がりのお茶会を開いていた。2月末までサマサ周辺を探索していたロックとセリスは、製図準備の為にこれから一度フィガロに戻る手筈になっている。
 せっかくならばリルムに会いたいとティナがお願いしてきたので、魔物討伐要員として参加して貰っていたのだ。彼女はサマサにいる間だけの戦闘要員であり、モブリズ復興の為に世界地図作成に賛成してくれたサポート要員でもある。
 リルムはといえば、「もう魔法なんてないんだから、この小さい村もオープンになっちゃえばいいと思うんだよね。天才画家生誕の地!みたいにさ」と冗談めかして手伝ってくれている。リルムの絵心は本物で、エドガーの計らいもあって既に顧客がつき始めている。彼女は彼女で、富裕層の顧客に地図を売り込む手伝いを申し出てくれていた。

「それにしても、ドロボウ案外やるじゃん」

 悪態を悪びれもせずに、オレンジと苺とパインのカットを乗せた大きな氷入りの丸いグラスから、オレンジ色のパッションジュースをリルムがストローですする。白い半透明なストローがオレンジ色に染まると、グラスからオレンジ色が少し減って氷が頭を覗かせてきた。

「デートならお洒落していくものよって、カタリーナが言ってたわ」

 非常に年若い夫婦、ディーンとカタリーナがいるモブリズに住むティナは、恋愛感情に未だ疎い為よくカタリーナに聴いてはセリスと話している。庶民的な恋愛に疎いセリスは恋愛自体を知っていても他人の話は勉強になるものだと、よくティナとのお喋りに耳を傾けていた。そんなティナはホットココアに生クリームを乗せたマグカップを傾けている。

「お洒落って言っても、普段は旅ばかりだし。ドレスなんて着ていく方がおかしいでしょう?」

 軍人であったとはいえ、セリスも貴族との舞踏会や会食での警護など、上流階級の嗜みがある。お洒落イコール、ドレスと考えてしまうのは致し方がない事といえた。リルムはそれに笑いながら「違う、違う」とセリスを止める。

「フツーのデートはカジュアルなお洒落をしていくんだってば」

 例えば、と言いながらリルムはいつも持ち歩いているスケッチブックの真新しい頁を開く。サラサラと炭で出来た細いクレパスが線を描き、クレパスを走らせた後には手持ちの色つきクレパスを横に倒して色を塗り始める。少しすると、セリスがいつも着ている旅装束が簡素だが綺麗に描かれた。
 リルムがスケッチブックを2人に見えるように置くと、セリスとティナがドリンクの結露で濡れないように脇に避けて覗き混んだ。

「これ、私? 綺麗に描きすぎよ」
「そうかしら? セリスそっくりよ、足の長いとことか」

 セリスとティナが思い思いの発言をする様をニヤリとした顔で見つめると、スケッチブックを一枚破ってテーブルの中央に置き直す。リルムはまた新しいページを開いてサラサラと描き出した。

「セリスは普段着から割とオシャレな感じあるから、イメチェンとかいいと思うんだよねー」

 箱の中から薄い水色を選んで取り出すと、サラサラと走るクレパスが人間の全身を書き出す。リルムは薄い水色のクレパスを箱に戻すと、少し悩んで薄い灰色のクレパスを拾った。

「セリスは大人系似合い過ぎだけど、たまにはちょっとゆるふわ系でお嬢様風とかいいよー」

 水色で書いた人型に、ロング丈の白からオレンジピンクに変わるグラデーションのキャミソールワンピースに、濃い藍色のデニムジャケットを着せる。ちょっとラフな感じで、と言葉を付け加えながら太めのベルトを付け足すと、ティナが「可愛い!」と目を輝かせた。

「それなら、セリスの髪巻いちゃうとか良いんじゃないかしら」
「ティナ、良いこと言うー!」

 リルムが薄い灰色のクレパスを黄色のクレパスに持ち替えてティナを指すと、スケッチブックに描かれたセリスをサラサラとウェーブさせていった。それを見て、少し気恥ずかしくなったセリスが乗り出して見ていた腰を椅子に戻す。

「私、こんな女の子らしいの似合わないと思うわ」
「着てみなきゃわかんないって!」

 きゃっきゃと女性3人はリルムのスケッチブックとセリスを見比べ終わると、この後の買い物場所について語り始める。3人はそれから街にあるブティックやファッション店を巡ると、楽しそうにセリスの体に色々な服をあてがっていった。

「そういえば、私、ロックの好みとか知らないわ」

 マスタード色のお嬢様風ワンピースを体に当てて鏡を見ながら、セリスがポツリと呟くと、ティナとリルムが両脇から別の服を持ってきた。ティナは友人と買い物に来れた事が嬉しそうに笑いながら、マスタード色のワンピースをセリスから受け取って白のにピンクのステッチが入ったフリルブラウスを渡す。

「セリスみたいな女性が好みなんでしょ?」

 ティナの一言でセリスが思い切り咳き込む。咳き込んで頬を紅く染めたセリスが口を開いて抗議の言葉を発する前に、リルムの言葉がそれを遮る。声にならない声は、リルムの言葉で完全にかき消された。

「ティ……」
「男の趣味に合わせる必要ないって。大体、野郎なんて可愛い女の子のエスコート役なんだからさ、自分の好きなモノ着させてくれない男なんて爆発しちゃえばいいよ」

 さらりと不穏当な発言をするリルムに言葉を出せなかったセリスが口を開けたり閉じたりする。うまく言葉が紡げないでいると、ティナが紫色の膝丈スカートを渡して優しい笑顔をセリスに向けた。
 渡されるがままに先程のフリルブラウスと合わせてスカートをあてがうが、トップスが可愛いのにボトムが大人すぎて今の年齢より大人びて見えてしまう。7歳年上のロックと一緒にいるならこれ位大人びててもいいのかもしれないな、と思った所で、ティナは腕に洋服をかけたまま両手を合わせて更に笑顔を咲かせた。

「似合う。ロックはセリスが何を着てても嬉しいと思うな」
「ティナの言う通り。ドロボウは、セリスが可愛い服選んだ事自体が嬉しいと思うよ」

 少し溜め息を就いてからティナに服を返すと、セリスが売り場に視線をさまよわせながら本音を零した。

「よく考えてみたら、私、ロックの事知らなさ過ぎるのよ。あの人、食べ物だってキノコが嫌い位で他は特に何も言わないじゃない? 好きな事聴いたら『野原で昼寝』とか言うんだもの、何が好きかなんて全然知らないわ」

 愚痴のようになってしまったと気にしてティナとリルムを見ると、2人は別々の笑顔でセリスを見上げている。ティナは少し涙ぐんだ笑顔で「セリスからこういう事聴けるなんて……これって“親友”って言うのよね」とキラキラ目を輝かせ、リルムは「ノロケてるねぇ」と、にやけた笑顔でセリスに別の服を手渡した。

「それってさ『俺、セリスなら何でも愛せる』とかそーいう事でしょ。お熱すぎて、こっちが見てらんない」
「そうじゃなくて……」

 言いかけた言葉を遮って、姿見へ体を回転させられると、感動がひとしきり終わったのか、ティナが何時になく真面目な顔でセリスに言った。

「子供みたいだけど、ロックも大人なのよ」

 ティナの言葉に真意を考えあぐねていると、ティナはまた優しく微笑んで持っていた服を返しに行ってしまう。リルムはティナの言葉に少し俯いて「あー……ねぇ」と口を濁らせていたが、意を決したように顔を上げた。

「ロックってさ。案外あれで他人の事よく見てるじゃん? セリスだけじゃなくて、みんなが無理に背伸びしないでいられるようにしてくれてるトコあると思うんだよね。筋肉ダルマとかヒゲ侍とかはあたしやガウの事子供扱いだけど、ドロボウは割と普通じゃん。あたしがグリーンピース残したら、ドロボウも一緒にキノコ残してティナに怒られた事あるの覚えてる?」

 飛空挺の中で起こった思い出がセリスの中で蘇る。色鮮やかに思い出した場面は、珍しくティナがロックとリルムを窘めているものだった。
 リルムはセリスの軽い相槌を待ってから言葉を続ける。

「前から嫌いって言ってたから、あの時、ドロボウのシチューにキノコ入れてみたんだよね」
「え?」
「アイツ、知ってたんだよ、リルムがわざとキノコ入れた事。でも、怒るどころか一緒にティナに怒られてさ。ドロボウってば何にも言わなかった」
「……あんまり、他人に怒る人じゃないのは知ってたけど」

 リルムは照れくさそうに、「別の持ってくる」とだけ言い残して売り場へ駆けていく。話をどこまで聴いていたのか定かではないが、ティナがいつの間にか新しい服を携えてセリスの隣に戻ってきていた。

「ひとつずつでもいいの。ロックの事、わからなかったら聴いてみればいいのよ。誰より一番近い、恋人なんでしょう? 知りたいのは当たり前じゃない」

 恋人、という単語がセリスにとって気恥ずかしくあるものの、ティナの言うことは正しいと理解出来た。何でも知りたいと思う事が子供のようで、抑えつけていた気持ちが紐解かれる。

(ひとつずつ、そうやって知っていきたい。貴方の事も、私自身も)

 きっと、それは正しい衝動なのだと2人の大切な友人はセリスを支えてくれていた。

 


第4話:Minuetto / Side Celes

 

(待ち合わせ、この場所でいいのよね?)

 辺りを見回して、待ち合わせ場所を確認すると、自分が喫煙するわけでも無いのに喫煙出来るガラス壁のテラスを選んでセリスは座った。アールグレイの紅茶をストレートで注文すると、改めて自分の格好を確認する。
 純白の膝下丈ワンピース。アンダーバスト部分に黒リボンでステッチが入り、腰までを絞られた女性らしい体型の出るデザイン。スカート部分のプリーツに慣れないせいか、少しもどかしさを隠しきれないのは本音だ。春はすぐそこ、といってもアルブルグの3月上旬はまだ寒い。上から羽織った淡いスモークピンクのカーディガンは、いつもの大人びたセリスのイメージを可愛らしく演出している。髪型はいつものストレートからゆるく巻いて細い金糸がウェーブを描いており、ふわりとした印象を持たせていた。
 リルムが描いてくれたイラストを見て、女3人で買い物に出掛けたはいいがなかなか決まらず、同じイメージとは行かなかったもののセリス自身は可愛らしい女性をイメージ出来たと思っている。本当はワンピース以外にももう一揃え買ってしまっていたが、リルムの「最初はワンピースがいいと思うんだけどさ。それと別にトップスとボトム分けて買って置いた方が、今後可愛い服見掛けた時に合わせで買いたくなるよ? これからもデートとかあるだろうし、バリエーション効いた方が良いよね」という言葉でワンピースと二着選んでしまったのだ。

(こんなに心臓がドキドキするのに、この後にもまたデートなんて考えられないわ)

 あの可愛い服は着たいが、もうしばらくお蔵入りか、などと考えながらセリスは軽く溜め息を就いた。
 少し見渡すと周囲の客と目があってしまい、すぐにテーブルの上に視線を落とす。モデル体型でスラリとした手足のセリスは身を縮こまらせた。自分の魅力に気付かないセリスは周囲から憧れの入り混じった視線を上手く理解出来ないのだ。

(は、恥ずかしい……!)

 午後2時まではあと15分。昨日1日会っていないだけなのに、やたらと時間がもどかしく感じる。オープンテラスに見立てたガラス壁から中央通りにある時計を見ると、心臓が爆発してしまいそうに早鐘を打った。
 ウェイターのいらっしゃいませ、という声が聴こえる度に入り口を振り向いては待ち人とは違う誰かの姿に落胆する。

(待ち合わせってこんなにドキドキするの?)

 近くのテーブルには、女性がチラチラと中央通りの時計を見つめている。あの人も待ち合わせなんだ、と思うとセリスも1人じゃない気がして少しだけ気が紛れた。
 飾られた小さなデザート専用のメニューボードを手にとると、女性が喜びそうな幾つものケーキが写真と共にリストに並んでいる。その中でラズベリータルトを見付けると、想像した味が甘酸っぱい自分の気持ちと重なって、また気恥ずかしくなった。

(入ってくる人みんな気になっちゃう)

 別にロックが遅れているわけではない。セリスがつい少し早く来てしまっただけなのだ。誰かと待ち合わせした事が無いわけではないのに、何故こうも違うのかとカーディガンの袖を指先で弄りながら違う事を考えようと思った矢先の事だった。

「ケーキ、決まった?」

 昨日は、1日聴かなかった声。毎日聞き慣れた声に驚いて見上げると、黒地のジャケットを羽織った待ち人と目が合う。いつもより少し笑っている細い目にドキリとして目が離せなくなっていると、丁度ウェイターがアールグレイの紅茶を運んできた所だった。
 もう一度「決まった?」とロックに話し掛けられて慌ててメニューボードに目を通すと、ロックはコーヒーを注文して黒のジャケットを椅子に掛けてから座った。

「待たせたか?」
「い、いいえ。さっき注文したばかりなの」

 正直な所、ロックも少し早く来るとは想定外だったので言葉が上手く紡げない。「そっか」と笑うロックがやけに笑顔なので、やっぱり変な格好だったのかとセリスは心配になってしまった。

「……似合わない?」
「何が?」

 突然の質問に、ロックが少し驚いた表情を見せると、セリスは俯き加減に少し顔を赤くして「…服」と小さな呟きで答えた。聴き逃さずにロックはニコリと笑う。

「最初この店入った時、すげー俺好みの可愛い子がいるなー、あーいう服セリスが着たら似合うよなーって人が居たんだよ」
「……どこによ?」

 セリスは少しムッとして周囲の女性を伺いながら、ロックに冷たい視線を送る。苛立つものの、どんな女性かとても気になって仕方がない。ロックはニヤニヤと笑いながらテーブルにわざとらしく両肘を就き、背中を丸めると手の甲に顎を乗せた。

「俺の目の前」
「………!」

 急に込み上げてきた羞恥心と、からかわれているのではないかという不安が混在し、セリスは少し八つ当たりするように口を開いた。

「こういうのが好みだなんて知らなかったわ」
「うん、俺も初めて知った」

 軽く頷いて笑みを返すロック。皮肉をさらりとかわされて、セリスがなんと言い返そうか迷っていると、ロックはセリスの手から小さなメニュープレートを取った。2人の中央に置くと、「これ美味そうだな」と呟く。
 指を指したのはアプリコットペーストとスペアミントの葉が乗ったレアチーズケーキ。脇に小さいシフォンケーキのような形の生クリームが添えられており、レアチーズもカット面から見ると弾力がある寒天のような物とは違いムースに似たふんわり感が漂っていた。
 前に「ご褒美」と言って仲間に内緒でケーキを買ってきてくれた事を思い出す。その時、ロックがスフレチーズケーキを食べていた事に思い当たって、ふとそれを口に出した。

「前も似たようなの食べてたわよね。チーズケーキが好きなの?」
「そうだったか? 男でチーズケーキ嫌いなヤツあんまり居ないと思うぜ」

 ケーキの話もそこそこに、ロックがウェイターを呼ぶ。綺麗な制服に身を包んだウェイターが丁寧にロックの前へグラスを置くと、注文を聞き始めた。ロックは追加でハムとアボカドを黒糖が練り込まれたパンでサンドしたものを注文してから、セリスに視線を送って優しく微笑む。

「セリスは何かいいのあったか?」
「……チーズケーキの話をしてたら、食べたくなってきちゃったじゃない」

 拗ねるような仕草で小さなメニューボードを脇に戻すと、セリスは先程ロックが指差したアプリコットペーストの乗ったレアチーズケーキを頼んだ。簡単に注文を繰り返したウェイターが確認を取った後引き下がる。
 セリスを見ながら喉の奥で笑うロックに、見られているセリス本人は上目遣いにロックを睨んだ。

「まるで、元から私が食べたかったみたいだわ」
「いいんじゃないか? 後で俺にも一口くれよ」
「あげません」

 口ではそう言いつつも、結局一口あげてしまうのだろう、と自己分析した所でセリスは思わず溜め息を就いてしまった。
 セリスしか知らないロックの姿は幾つあるだろうと彼女は考える。それよりも知らない彼の方が多い事に、ひとつ知る度気付かされるのだ。

(チーズケーキが好き、コーヒーならブラック、ココアには砂糖入れるのよね)

 知っているロックの嗜好を頭で数えてから、これなら誰でも知っている事だと思考から追い出す。少し考えている間にロックはやはりいつもより笑っていて、変な顔していただろうかと心配になったセリスはアールグレイの紅茶を口に運んだ。香り高いアールグレイは鼻腔の奥に緩やかな残滓を残し、温もりを喉から胸へと流す。紅茶の温もりは彼女の心を落ち着けた。
 女性にしては少し大きいが細い指先で摘んでいたカップをソーサーに戻すと、意を決してロックを見る。

「あ、あの。笑わないで聞いてくれる?」
「あぁ、いいぜ」

 優しく穏やかに微笑んだロックを見れば、普段より上機嫌な事が手に取るようにわかる。ロック自身、普段から良く言えば穏やかな、傍目から見れば飄々として掴みどころの無い人間だが、こんなに優しい瞳を向けるのはあまり見た事がないようにセリスは思う。今のロックにならある程度何を言っても赦されるのではないか、そう感じたセリスは上手く纏まらない言葉を慎重に選んだ。

「何を話していいか、わからないの」

 セリスは自分でも何を言っているんだろうと思いながら本音を吐露する。彼女は白いカントリーテーブルの縁に置いた指先をスカートの上に戻して、きつく結んだ。頭の中がいっぱいになり、重ねたい言葉が輪になって躍る。
 ロックはそんな彼女に少しだけ目を細めて、ジャケットの内側からシガレットを取り出した。

「こういう時はさ、無理に話さなくてもいいんだぜ?」
「え?」

 ロックの言葉が意外だったのか、セリスはきつく結んだ手のひらをぱっと開く。同時にロックも煙草を口にくわえてジッポライターで火を点けると一息紫煙を吐き出した。
 昨日は見なかったロックが煙草を点ける仕草に、思わず彼の指先を見た。男性らしい大きさの長い指先は、煙草を灰皿へ運ぶ。セリスは少し目を細めた。

「昨日1日会えなかっただろ。俺はセリスに会いたかった。セリスは?」

 『会いたかった』と言葉に出されるとセリスの緊張して鬱屈とした気分が少し変わる。晴れる、というよりもその気分そのものが暖かくて甘いお菓子になったかのようだった。 恥ずかしそうにセリスが小さく頷くと、ロックは安心したように笑って、煙草の灰を灰皿に落とした。

「一緒にいるのが楽しかったり嬉しかったり、楽だったり。人それぞれだと思うけど、無理する必要はないだろ。だから、一緒に居る間は話したい事話して、喋りたくなかったら2人でのんびりして。話したくなったらそれが話す時なんだから、いつも通りでいいよ」

 気恥ずかしかったのか、ロックは空いた手でガシガシと後頭部を掻くと、灰の長くなった煙草をもう一度灰皿に近付けた。お互いに気恥ずかしい空気が流れて静かになった時、ウェイターが注文した品を持って現れ、白いカントリーテーブルに並べ始めた。
 白いナプキンを二つ折りにしてセリスが膝に乗せると、ロックは用意されていた濡れタオルで軽く手を拭く。銀色のカラトリーが春間近の日差しに当てられて小さく煌めいた。

「あー、……いや、先に食っちまおうぜ」

 ロックが何を話そうとしたかは解らない。だが、先程のロックが話した言葉を借りるとすれば、話したい時の会話ではないのだろう、とセリスは判断した。
 視線を白いカントリーテーブルに移せば、目の前には冷やした白のプレートにたっぷりとアプリコットペーストが乗ったふわふわのレアチーズケーキ。隣に添えられた生クリームが柔らかな曲面を描き小さく角を立てている。

(ロックが選ぶのって、なんか美味しそうなのよね)

 彼女はそれが恋の魔法だと知るにはあと少し時間がかかるが、それはまた別のお話。

 


第5話:Lovers Sinfonia

 

 カントリーテーブルに注文した品が揃った所で、セリスが窓の外にある時計台を見やれば、あと2、3分で2時を示す所だった。待ち合わせ時間までの時が長く感じられ、非常に緊張していたせいか多少指先がぎこちない気がする。
 ロックと会話をし始めて幾分か楽になってきたものの、これからどうすればいいのだろうという不安が未だに拭えない。不安が顔に出ていたのか、ロックが真剣な顔付きでセリスを見ているので表情を和らげようと彼女は微笑んだ。

「俺もまだまだだな」

 ポツリと呟いた言葉にセリスが反応すれば、ロックは急に視線をセリスに向けてニヤリと笑う。「一口いただき」とフォークで目の前にあるレアチーズケーキを一口大に切り取り、セリスのフォークを軽くかわして口の中に入れた。セリスが頬を膨らます姿を見て、ロックが更に子供のように笑うと、セリスも生クリームを乗せてケーキを一口分頬張る。口の中で溶けるレアチーズケーキと乗せられたアプリコットペーストが更に甘酸っぱく感じた。

「じゃ、交換な」

 そう言って、ロックは正方形に切り取られたサンドをセリスのデザートプレートに乗せる。ハムとアボカドがたっぷりと挟まった黒糖パンのサンドは、具がパンと同じ厚さで縦に置かれても倒れずに悠然とデザートプレートに鎮座した。

「全然違うのに」

 文句を言いつつもフォークでサンドを刺して口元に運ぶセリスは誰から見ても年相応の可愛らしさがあった。勝手に交換された一口大のケーキと小さなサンドひとつ、それがセリスの心を高揚させる。
 彼の唇に触れたカラトリーで切り取られたケーキの縁、普段見せない素手で何気なく取り分けられたサンド。仲間と一緒の時なら気にならなかった事だが、今こうしてセリスの口に入る物はロック素の指先や、彼の唇に触れたものだ。
 間接的に彼自身の肌身に、セリスの唇が触れている。普段なら気にしないはずの事が、どうしても気になって仕方がなかった。

(……そういえば、手袋をしてない?)

 改めて思い返してロックの手元を見れば、常に着けている手袋が見当たらない。ロックにとって、バンダナと同じで体の一部と言っていた革手袋は、細かい作業や文字を書く時ですら外さない。それを最初から身に付けていないのはセリスには非常に新鮮に思えた。
 セリスは先日言われた友人の言葉を思い返す。解らないなら聴いてみればいいのだと、そのまま彼女は疑問を口にした。

「今日は、手袋してないの?」
「俺が休みだから手袋もオフなんだよ」
「じゃあ、バンダナにもオフあげたら?」
「足折れた人は杖離して歩けないだろ」

 一息置いて、2人はクスクスと笑い合う。はぐらかされた事は重々承知していたが、この茶化し合う瞬間が何よりも楽しいとセリスは嬉しくなって微笑んだ。楽しそうに自然と微笑むセリスを見て、ロックは少しだけ目を細める。
 カントリーテーブルの上に置かれた真っ白のプレートは、乗せられていた物をなくし、日差しを浴びてキラキラと優しく輝く。プレートに置いたカラトリーを爪先で少し動かすと、ロックは椅子を軽く引いて立ち上がった。

「じゃあ、いくか」

 なんとなくそのまま話し込んでしまいそうな雰囲気を断ち切って、ロックは先にすたすたと歩いて行ってしまう。慌ててセリスがナプキンで口元を抑えるようにして軽く拭うと、足下にあった小さい鞄を持ってロックを追う。
 すると、キャッシュカウンターの所でロックが既に代金を払っている所だった。釣り銭をじゃらりと鳴らしてポケットに詰め込むと、ロックはセリスを振り返って「行くか」と声をかける。
 店の外に出てから、セリスは小さい鞄の蓋を開けて財布を触りながらロックの横に並んだ。

「幾らだった?」

 セリスがそう聴くと、左に並んだセリスの額を右手の人差し指で小突きロックが笑う。

「デートの支払いは、基本、男持ち。勉強になりましたか、セリスさん?」

 もう、と少し膨れた顔をするが、ロックにそう言われてしまえば反論する事も出来ない。一般的概念のデートを理解しきれていないセリスは、呆れたような恥ずかしそうな表情でロックから視線を外した。
 それから2人は、最初はロックが誘導するように歩き出す。目に付いた店に入ってみたり、セリスが視線を止めた店に「行ってみるか」とロックが促して、ゆっくりと散策を楽しんだ。徐々にデートという感覚が解ってきたセリスは、楽しそうに綺麗な貝殻の髪飾りを見付けて身に着けて鏡を確認してみたりする。
 ロックのバンダナと似た藍色のリボンを見付けたセリスが周囲を軽く確認する。ロックが他の物を見ているのを確認してからこっそり髪に合わせると、ロックに「結構似合うぜ」と見つかってしまった。セリスは慌ててそれを売り場へ戻すと背中でリボンを隠して「いいの見つかった?」とロックに訊く。その様子が可笑しかったのか、ロックが拳で口元を抑えて喉の奥でくっくっと笑うので、恥ずかしくなったセリスは、分かり易い照れ隠しに洋服がディスプレイされているトルソーへと移動した。
 また店を出て、空に藍色と橙色が混ざる頃、出店でふわふわの白いコッペパンに焼きたてのウィンナーと水滴のついたレタスを挟んだホットドッグとカフェオレを2つ買う。近くのベンチでそれらを「温かい」と頬張りながら空を見上げていると、突然ロックが食べかけのホットドッグで正面を指差した。

「あの道、ドコにつづいてんのかな」
「行ってみる?」
「世界のトレジャーハンターに知らない道があるのもな」

 顔を見合わせた2人の唇に、ケチャップやマスタードの跡を確認して、お互いに笑い合う。食べ終えたホットドッグとカフェオレのゴミを露天のゴミ箱に捨てると、示し合わせたように2人で「行きますか」と声を合わせた。

 一定のリズムを刻む階段、足音が心地良い煉瓦造りの細い道。段々と暗くなる空に、少しだけ寒さが宿る。
 細い道で、並ぼうとするとぶつかる手の甲に、互いが冷えている事が解った。中指の付け根にある関節がコツンと当たると、思わず2人は黙ってしまう。
 普段手袋を付けているために余り触れない彼の素肌。それに触れていると思うだけで、セリスの指先の血流が早く流れて熱くなる思いがした。
 急に一歩だけ先に行くロックが振り返ると、彼は冷えたセリスの手を取って指先を絡める。照れくさそうに笑うロックに、セリスは少しだけ力を込めて握り返した。2人がはぐれないように、心まで迷ってしまわないように。
 澄んだ空気が頬を刺す。繋いだ手のひらの温度が心地良く感じる頃、もう一度階段を登りきると、急に視界が開ける。アルブルグの街が一望出来る場所で、2人はその眺望に感動した。星々が透き通った空気の中で煌めき、街の灯りが地上の星になる。冴え冴えとした月は、いつの間にか高くなり始めていた。

「綺麗……」

 2人は胸より下の高さにある煉瓦の柵壁にもたれて、同じ景色を眺める。ロックはそのまま夜空と街の灯を眺めながら、セリスを見ずに話し始めた。

「前に、俺と同じモノ見ても同じようには見れないかもしれないって言ってただろ」

 セリスはその言葉で、恋人になるきっかけだった時の事を思い出す。それでも、彼の隣を歩きたいと言ったあの日を。
 思い出すと恥ずかしくなって、セリスが茶化してしまおうかとロックを見れば、彼は真剣な表情で街の灯を見つめていた。ロックから手のひらを握り返す力が僅かに強くなる。

「それでも、同じモノを見たいんだ」
「……同じ、モノ?」

 彼の真剣さに引きずられるように、セリスの声が上擦る。彼が何を言わんとしているかは解らないが、確かに聴いておかねばならない事である気がした。

「こんな夜空も狭い道も、2人で食べるモノも、きっと感じるモノは違うだろ?」

 違う、という言葉に認めるのが怖くなって、セリスは頷くのを躊躇ってしまう。ロックは振り返ってセリスのそんな様子に微笑みかけた。

「だから、同じ思い出が欲しい」
「思い出……?」
「そ」

 ロックは繋いでいない空いた手で懐から小さな包みを取り出すと、柵の上に置いた包みを片手の指先で器用に開く。セリスの目の前に現れたのは、どこかの服飾店で見たロックのバンダナと同じ藍色のリボンがバレッタになったアクセサリー。それをロックは、セリスの細い髪にそっとつけた。
 パチン、と音がしてバレッタが止まると、セリスの心の奥で同じ音がする。

「過去は無くならない。でも、これから作る思い出ならどうにでも出来るだろ?」

 ズキリと痛む胸。互いの過去は、償えない程の大罪にまみれている。
 だが、全てを受け入れたようにロックがセリスを軽く抱き締めて、他の人には聴かせない甘く低い声で囁いた。

「他の誰とも共有出来ない、2人だけの思い出。同じモノが違う風に見えてたら、…教えあって、いつか、同じ様に見えるまでずっと」

(ロックは、あの日の私が言った言葉を真剣に考えてくれていた…)

 思いがけず流れる涙を、セリスは空いた手で拭おうとする。セリスの指先が目尻に届く前に、手首がロックに掴まった。
 月に重なる雲のように。お互いの唇の温度を確かめあって、唇の柔らかさを確かめるように啄みあって。
 月にかかる雲が風の早さで流されると、綺麗な上弦の月が2人を照らした。

「誕生日、おめでとう」

これからも、ずっと、同じ言葉を繰り返して
今日のデートみたいに初めてを2人で繰り返して
いつまでも、一緒にいられますように。


―happy birthday!Celes―