「××××、××。」

[ First Ending for "The world where you alone do not exist." ]

最終話



 ロックが久し振りに出掛けて帰ってきた後。少しずつ調子を取り戻したセリスは、比例するように笑顔を取り戻していった。

「ロックと一緒に歩いてるだけで、最近元気が出るの」

 セリスが微笑んで、ロックに新しい料理を覚えたのと笑う姿が愛しくて、彼も笑う。この調子ならまた旅にもでれるかもね、とセリスが冗談めかして呟くと、彼は「それもいいな」と微笑んだ。

 

 

きみなき、世界。
[The world where you alone do not exist]

 





『アルテマウェポンは、対象の生命力を測る装置が付随されています』

 研究員の言葉どおり、自分の生命残量が手に取るように解る。セリスの生命残量も、彼女と繋がるたびに理解できる自分に気がついて、俺は彼女の剣なのかもな、と彼は心で皮肉った。
 ロックの予想を遥かに超えて、セリスは自分の生命力を大半擬似魔力に変換していた。当の昔に、彼女の生命力は尽きている。もう既に、彼女はロックの生命力を分け合う事でだけで生きているのだ。

「元気も出たみたいだし、旅行でも行くか?」

 そうロックに訊ねられれば、嬉しそうに二つ返事でセリスが返す。余程嬉しかったのか、作った料理をテーブルに置いたかと思えばテーブルチェアに座るロックに彼女は抱きついた。
 彼女のアクアマリンから小さな宝石が零れ落ちる。嬉しそうに微笑む姿を見て、これで良かったんだと彼は自分に言い聞かせる。
 彼の生命残量は通常の人間よりも遥かに少なくなってきている。この分ではあとどれだけ保つかはもうわからない。

(お前を一人で逝かせたりしねぇよ)

―――彼女のいない世界も、
   彼女だけが取り残された世界も、
   必要ないから。

 最初にセリスが倒れた日から何度も、ロックはセリスがいなくなる世界の夢を見た。その度に静かに涙を拭いては彼女の温もりを確かめようと抱きしめてもう一度眠りに就くのだ。
 時折、魘されて起きるロックに気がついてセリスが起きる事があった。その度に、彼女はロックの手を握って「私は、ここにいるわよ」と微笑む。彼女が生命力を削って体力を落としている時も、彼女はそうして眠たい目を擦りながら起きる。

(セリスのいない世界に、居たくないんだ)

 そう呟く彼の必死さに「居なくならないわ」と微笑む彼女が散る前の花びらにすら思える。魘されて目覚めた時に彼女が隣に居なかった時の絶望は、筆舌に尽くしがたい痛みで自分の腕を利き手の爪で削ってしまった程だ。
 色を失くす、言葉を失くす、音を失くす。自分以外の風景や通行人がまるで自分の存在無く動く劇芝居。
 音も自分が歩いて頬に感じる風すらも、自分のいない世界に思える。それが、彼女をなくした世界という事。自分がいない世界に迷い込んだという事。
 彼はその世界を知っているのだ。その世界から連れ出したセリスを失えば今度こそ気が触れてしまう。
 そして、そんな世界にセリスを一人で置いて行く事だけはしたくない。自分が感じたあの世界にだけは、セリスは置いて行きたくないのだ。

『―――もし、生命維持が出来なくなりそうだと思ったら―――』

 ジャケットの内側に入れたジッポライターに見せかけたケースをそっと確かめる。彼女が気付くのは、全てが終わった後だ。
 それから二人は、先程の旅行計画を話し始める。ああでもない、こうでもないと、笑いながら全てを忘れるように過ごし始めた。

 そうして、更に一年が過ぎた。

「あぁ、おじいちゃんの家に来れるなんて。セッツァーには感謝しないとね」
「ファルコン取ってくるのに、すげーこき使われた俺には感謝なし?」

 ふてくされる彼に近付いてセリスは頬にキスをする。少し照れたようにそっぽを向いたロックは片手をセリスに差し出す。微笑んでセリスはロックの手を握り返して、二人は歩き出した。
 世界の端にある孤島の家に二人が手を繋いだまま入る。埃のたまった家を掃除して、少しの間生活が出来るように整えていくと、ロックに負けないガラクタが転がり出て、セリスは「ロックっておじいちゃんに似てるのかも」と笑い出す。「なんだよそれ」と本棚を動かすロックが開いた場所に荷物を置き始めると、セリスはキッチンに向かいながら振り返った。

「私の好みのタイプってこと」

 彼女には敵わないなと頭を掻いて照れた顔を背けると「これ、これでいいのか」と大声で耳まで赤くなった自分を隠そうとする。あはは、と笑うセリスが食事の用意をしながら返事をして、彼女達の残り僅かな生活が始まった。

(――もう、限界か。)

 孤島で一週間が過ぎたある日。自分の生命残量を確認したロックが、胸元のジッポライター型ケースを確認する。最後まで、彼女はあの時のように衰える事はなく可憐に笑っている。一度完全に衰えたセリスを持ち直させるためにロックは自分の生命残量を大半消耗させてしまったのだ。短くてごめんな、と彼は心で呟く。だが、この一年で会うべき仲間達にはもう挨拶は済んでいる。
 リルムなど、セリスの元気な姿を見て泣き出してしまった程だ。急にどうしたのよ、と慰めるセリスを見て、多少ハラハラさせられたがなんとかばれる事無くこの日を迎えた。

「セリス、ちょっとこっちこいよ」

 いつも通りの藍色をしたジャケットを着たロックが、玄関のランプに火を入れて手招きする。夏の噎せ返る空気に、圧倒的質量をもった藍色と宝石が輝いた残滓を残したように見える星雲で煙った星々。
 宝石箱から滑り落ちた三日月が、灯の無い孤島を明るく照らして海に映る。感嘆の声を上げたセリスがはしゃぐようにロックの腕を取って外へ出る。玄関の段差に躓いて足元が揺れるセリスを庇ってロックが体勢を少し崩すと、心配そうにセリスを見る。

「気をつけろよ」
「大丈夫」

 安心しきった微笑で、セリスが絡めた腕にぎゅっとしがみつく。二人しかいない世界で、月と星の浮かぶ藍色の空を眺める為に二人は崖へ足を運んだ。
 夏の空気を、両手一杯に身体で受け止めて、セリスは大きく息を吸う。

「すごく綺麗な夜空」

 ああ、と彼はジャケットの内側から煙草をを取り出してくわえる。ジッポライターを取り出して、灯を風に消されないよう手を翳して点けた。
 紫煙を空に吐き出すと、月の光に煙が浮かんで光の道を浮かび上がらせる。こんなもんでも綺麗に見えるんだな、と呟いて彼はすぐに煙草をもみ消した。

「煙草吸ってるの、久し振りに見たわ」
「禁煙解禁?」

 何で疑問系なのよ、と軽くロックを叩いて笑うセリスに「やったな」と擽り返して二人はじゃれあう。ひとしきり笑いあって、二人は緑のベッドに寝転がった。
 夜空の月は冴え冴え高く昇り、恒星は瞬きを繰り返す。少しの無言と波のさざめきが二人を包む。大の字になったロックの腕を枕にしてセリスが夜空に両手を伸ばした。
 月の近くでは、一筋の流れ星。セリスは嘆息を吐いて両手で視界の月を象る。

「さすがのトレジャーハンターも、あの月までは盗み出せないわね」
「……獲れるよ」
「冗談ばっかり」

 腕を辿ってセリスがロックを見れば、彼は真剣な瞳でセリスを見詰めている。表情からは何を考えているか全く解らない程に真剣な眼差し。鼓動が跳ね上がるセリスは、改めて思い出す。

(私、この人に恋をしているんだ)

 蕩けた瞳で見詰め返すと、ロックの空いた手が伸びてくる。指先がセリスの白磁色した肌をなぞって輪郭を確認されると、鼓動が早くなった。近付く、ロックの吐息を感じてセリスが静かに眸を伏せる。唇が触れる瞬間、ロックの唇の裏でカリッと何かが砕ける音。

「……愛してる」

 唇を重ねたまま紡がれる愛の言葉を餞に、二人の生命維持は機能を停止した。











「こんな所でお昼寝とは、暢気なものだね」

 蜂蜜色の髪をした青年が、薔薇の花束を持って崖に立っていた。二人の亡骸に散りばめられた羽の数々が彼らを迎えるように舞い上がる。

「幻獣用浸透毒だっけか」

 銀髪の青年はしゃがみこんで彼女の顔を見た。
 カプセル型にして研究員からロックに渡されたそれは、数分も持たせる事無く二人の命を奪ったのだろう。とても安らかな顔で二人は眠っていた。

「女神になりそこねたね」

 生命が切れる瞬間、最後の命を魔導回路が一気に吸収して、セリスに天使の翼を生やしていた。彼らの後ろで、金髪の少女と翡翠の髪を結い上げた娘が抱き合うように泣いている。
 漆黒の侍は、自分の国と家族を奪った毒が、この恋人達に安らかな眠りをもたらしたと聴いて苦渋の顔を浮かべた。セリスから生えた羽がまた一枚、空に舞う。ロックとセリスの眠る顔をみて「本当に幸せそうだな」とマッシュが呟いた。

「……幸せになれよ」

 きみなき世界で、誰ともなく呟かれた言葉も空を舞う。仲間達は見送るように、羽根の舞う空を見上げた。

- First Ending -