ティナ's BIRTHDAY
もうひとつの7年戦争

第1話~第3話



 

 何を持って、正とする。
 何を持って、生とする。

 空は青く澄み渡る世界。
 目を閉じるだけで、光を失う世界。

 生まれてきた意味を持っていても
 生き続ける意味を彼女は、知らない。

これは、7年戦争のもうひとつの物語。

 


第1話:最後の愛弟子と未来への手続き

 

「その言葉、真意を問わせてもらおう」

 真っ白な髪が肩の部分で揺れる。鋭い眼光に老成したとは思えぬ屈強な肉体。威圧するその気配に対峙して尚、蜂蜜色の金髪を後ろにひとつ纏めた青年は動じることなくその場に佇んでいた。
 青年の碧眼が真っ直ぐに鋭い眼光を見据える。彼は最後の試練に挑む扉に手をかけたのである。後戻りする感情を振り切る為の過去への邂逅すら、彼には不要のもの。

「己が行く末を、決めたまでです」

 窮屈そうな正装をした青年の屈強な肉体は、神を討伐した後も維持され続け衰えていない。聖職者であるはずの青年が着る正装は、聖職者のそれとは違う。
 屈強な姿の老人は、重ねて問うた。

「もう一度、歴史の過ちに向き合うというのだな」
「ダンカン師匠」

 師匠と呼ばれた老人は、最後の愛弟子を見据えて、ゆっくりとした速度で、青年を本気で殴りつけた。避けられるであろうその速度を、青年はあえてそのまま自分の頬で受け止める。
 それでも青年は師を見据えることを辞めない。青年の口の中が自らの歯と殴られた圧力で切られ、彼は手の甲で口元の血を拭った。

「……生まれてきた意味を知っても、生きる意味を知らぬ者がいる」

 ダンカンは寂寥感の残る視線で、青年に苦渋の顔を向けた。師の言わんとする事を理解するために、青年は一言も聞き漏らすまいと耳を傾ける。

「お前が儂の所へ来たのは、その為であろう」

 ダンカンは、自分の愛弟子が自分へ師事を求めたその日を思い出していた。権力争いの火種を消すために、自分の父王と叔父王が起こした王権争いの悲劇を繰り返さぬ為に、聖職者となった少年は、大人になってまたあの国へ戻ろうとしている。
 青年に野心があるわけではない。青年は正しい形で、王となった兄を救いに行くのだろうことは師であるダンカンも理解できる。
 だが、青年の思惑とは裏腹に、青年がそれを良しとしなくとも利用する人間が出てくるのが権力だ。そうして、その醜い争いに巻き込まれて命を落とした青年の敬愛する騎士や、権力と妄執に憑りつかれた叔父王に関わった人間達がいなくなったわけではない。

「力は、争いを生む。それが物理的な力であろうともなくともだ。それを此度の戦で誰よりも学んだのは、お前ではないのか、マッシュよ」
 
 その言葉を聞いてから、マッシュと呼ばれた青年は、殴られた顔を気にするでもなく、自分の師に向かって、穏やかに微笑みかけた。ひとつ頷いて、それを肯定すると、彼はダンカンへ口を開いた。

「師匠の言うとおりです。そして、その争いには結末が必要だと、俺は思います」

 目を見張ってダンカンは、マッシュが何を言わんとするかを聞くために口を閉ざして顎鬚に手をかける。真っ白な顎鬚も年月を経たせいか、随分と毛が抜けて薄くなっていた。

「俺が、師匠の所へ来たように。生まれた意味を知っていても、生き続ける意味を見つけられない者がいます」

 マッシュは決意した日を思い出す。この選択は、未来に繋ぐ命の選択。あの日、自分を止めた彼女を思い出して、彼は瞳の奥をセピア色に染めた。
 彼はこの日のために念入りに下準備を進めてきたのだ。兄王であるエドガーも、この計画には諸手を上げて喜んでいる。
 正直を言えば、不安が無いわけではなかった。だが、これは彼女へのマッシュなりのけじめでもあるのだ。最早、最良の返事を信じる以外他にない。

『信じるんじゃない、自分でその言葉を引き出すんだよ』

 そう笑った兄の笑顔はどこか誇らしげで、嬉しそうで、寂しそうで。自分の為に、彼女の為に、兄や期待を寄せて協力してくれている人たちの為にも、マッシュはここで折れるわけにはいかないのだ。

「俺は、生き続ける意味を伝える為に、この道を進むつもりです」

 マッシュは立ち上がって、ダンカンへと右手を差し出した。右手で求める握手はダンカンの左右に振る首にさえぎられて行き場所をなくす。
 それでも、マッシュはその手を引こうとはしなかった。

「……そうか。お前は、未来を繋ぐ為に行くというのだな」

 師は、愛弟子を見て微笑んだ。老人は網膜に焼き付けるように、彼のすべてを見た。
 これが、愛弟子の最後の姿だからだ。

「よかろう」

 その最後の瞬間を、互いに微笑み合って。

「マシアス=レネ・フィガロ、お前を、……破門とする」

 


第2話:もたらされた安寧とそこから進む戸惑い

 

「ママー、今日も結構仕入れてきたぜ!」

 少年から青年へと姿を変えた子供たちがはしゃいで自分の成果を披露しあう。ママと呼ばれた女性は、翠の髪を高めに結い上げており、少女のような笑顔で彼らに微笑んだ。
 収穫の秋は、果物や穀物だけでなく、魚なども大量に実りを人間に提供してくれる。命はこうして繋がれていくのだと教える豊穣の秋だ。
 彼女の笑顔を見るたびに“子供たち”は安堵した笑顔になる。元気な青年を見て、少女から娘へと姿を変えた“子供たち”は、ママと呼ばれた女性が返事をする前に彼らを窘める。

「また、あんたらは手も洗わないで!もー、ママも笑ってないで怒ってよ」

 元気な娘たちに窘められて、少年の幼さを残した青年たちは飛び出すように外へ駆け出して行った。追いかける娘と、青年たちが残した成果を拾い集める娘。
 残った娘がママと呼ばれた女性に肩をすくめた。

「もう、ママはいつも優しいんだから」
「違うわ、嬉しいのよ」

 首を傾げる娘に、まだわからないかしら、と女性は翡翠の瞳をきらきらと輝かせて微笑む。娘は、いくつになってもこの女性が少女のような微笑みをするなと思いながらため息をついた。
 彼女たちがいる町は、モブリズという小さな漁港だ。6年前、ケフカによる裁きの光で町を焼かれ、子供たちだけになったこのモブリズからは想像も出来ないほどに復興している。
 当時、子供だった少年少女たちは、ママと呼ばれた女性が親代わりを務める事で、すくすくと育っていった。もう子供たちだけの町ではない。ディーンとカタリーナが子供を産んだ時の年齢を超える者さえいる。

(もう、必要ないのかもしれないわ)

 彼女は“子供たち”を見つめてそう心で呟いた。大人へなりつつある彼らは、未だに彼女を『ママ』と呼ぶ。まだ必要だと、彼女が自分に言い聞かせて育ててきた彼らも、いつの間にか彼女の手を必要としなくなっていた。

(見透かされて、いたのかしらね)

 彼女が思い出すのは、一人の青年の言葉。自嘲するようにその言葉を刻むと、彼女は心配そうな瞳を向ける“子供”の一人と目があった。何の心配もいらないとばかりに彼女はくすくすと微笑む。

「ママ、大丈夫? 疲れてる?」
「そんな事ないわ。ちょっと懐かしかっただけ」

 ママと呼ばれた女性に、今度は小さな少女が駆け寄ってくる。後ろからはママと呼ばれた女性と同い年位の女性が笑顔でもう一人の子供を連れて歩いてきた。
 飛び込むように抱きつかれて、彼女はまた微笑む。少女特有のふわふわした抱き心地が幼さを感じさせた。

「あら、カタリーナ。ディーンはまだ仕事なの?」
「そう、って違うの。ティナ、貴女にお客様よ?」
「私に? 誰かしら」

 ティナがカタリーナとカタリーナの子供へ笑顔を翡翠の瞳を細めて微笑んでいると、出入りが激しく開け放ったままの扉から並んだ身長の二人が現れる。
 逆光でよく姿が見えなくても、誰かすぐにわかるシルエット。徐々に目が慣れて確信が持てた時、ティナは穏やかだった微笑みを、少女の笑顔に変えて走り出した。

「元気そうね、ティナ」

 薄金色の長い髪に珊瑚の髪飾りを付けた長身の女性がそう微笑めば、ブルネットのかみが藍色のバンダナから覗く青年が笑顔で隣に並ぶ女性に続いて挨拶をした。

「セリス、ロック! 久しぶりね」
「用事のついでだけどな、元気にしてたか?」

 青年がヘーゼルの瞳を細めて笑うと、ティナがセリスの胸へ飛び込むように抱きついてきた。両肩を震わせたティナが顔を上げれば、今にも泣きだしそうな表情が彼らの胸に棘を刺す。
 ロックとセリスは互いに顔を見合わせてから、慌てたように理解できない事態に対処するべく、ティナを慰め始めたのだった。

 


第3話:想い合うことが罪ならば

 

「落ち着いた?」

 カタリーナが人払いをして、セリスとロックとティナの三人だけになった部屋で、セリスが口を開く。ごめんね、と涙を瞳に溜めたままティナが呟いた。
 ロックは口をはさむわけでもなく静かにセリスの隣で微笑んでティナが話すことを待っている。二人の役割は相談しなくても決まっているようだ。

「マッシュがね、……なんて言ったらいいのかしら」
「慌てなくていいのよ。話したい所からでいいと思うわ」

 肩をすくめて見せるロックも、同意している様子だ。気を遣わなくてもいい仲間だと暗に言われたようで、ティナは少女だった自分に戻れた気がする。
 ティナが生まれた意味を一緒に探した仲間達は、どんなに離れても、年月が流れても、仲間である立ち位置を変えずにいてくれる。それがティナをひどく安心させた。

「私、多分だけど、マッシュが好きなんだと思うの」
「……あぁ」

 ロックが思わず言葉を出してしまってから、セリスが知っていたのかという表情でロックを振り返る。目を見開くセリスに動じた様子もなく、ロックは「うん、それで?」と先を促させた。
 コクンと頷くティナは、ついこの間のマッシュとのやり取りを彼らに話し始める。セリスはそれを聞きながら沸かしたお湯で、ティナが好んで飲んでいるココアを淹れ始めた。

「マッシュに、私マッシュの事が好きみたいって言ってみたの。そしたら、なんだか困らせちゃったみたいで……」
「マッシュからの返答が無いってこと?」

 悩むティナにセリスがマグカップを渡しながら尋ねる。ティナは湯気が前髪に当たる感じがセリスの優しさに包まれているようで心地いいと感じた。
 マグカップをセリスから受け取りながら、ロックがそれに軽く口を挟む。

「そりゃ有り得ないな」

 ティナとセリスの視線を一心に受けながら、ロックがマグカップの中身を軽くすする。飄々とした彼はこんな時でも全く動じた様子がない。

「セリス、気づかなかったのか? どう考えても、あいつティナ一筋だったろ」
「え……全っ然……」

 驚きでそれ以上の言葉をなくしたセリスがマグカップをテーブルに置いたまま手を付けられないでいる。女性から見る男性と男性から見る男性の視点は違うものなのかとセリスが悩んでいると、ティナがまた頷く。
 ここから先は、またティナの言葉を待つべきだと二人が言葉を止めると、ティナがマグカップのココアを口先で冷ましながら両手で持って一口分だけ口に含んだ。

「最初は、驚いたみたいだった。でも、嬉しそうだったの。私も、嬉しそうなマッシュみて、それで嬉しかったわ。だけど、私知らなかったの」
「マッシュが、聖職者だって事か」

 ぽつりとロックが呟くと、ティナがまた泣きそうな表情で頷く。
 その表情がなくとも、セリスとロックには容易に想像がつく。ティナは、マッシュがモンク僧という聖職者である職業だと知っていても、聖職者が何を示すのかは知らなかったのだろう、と。
 マッシュは、権力争いに兄弟互いが巻き込まれぬよう、神に誓いを立てて聖職となった身である。結婚することはおろか、恋人になることすら出来ない。

「私、聖職者って事をマッシュに教えてもらって知って。好きでいるだけで充分だと思ってたのに、それから会う度にやっぱり好きになって。どうしたらいいかわからないって言ってしまったの」

 ティナからぽろりとこぼれたオパールの涙がココアの入ったマグカップの縁に当たる。マグカップの外側を伝ってテーブルに落ちる涙は、室内のランタンを反射して虹色に見えた。
 ロックとセリスも、結ばれるまでに時間が掛かった二人であるからこそ、ティナの傷ついた想いと、マッシュの葛藤が理解できる。

「よく考えたら、私だって、子供たちを放っていくわけにもいかないのに。私って、こんなにワガママだったんだって初めて知ったの」

 首を振るセリスがティナの隣に立って、ティナをそっと抱きしめる。小さなテーブル越しに、ロックがティナの頭を軽く撫でた。
 ティナの耳元で、セリスが「それはワガママでもなんでもないわ」とつぶやくと、ティナがセリスを見上げて涙を目尻いっぱいに溜める。

「……あとから、知ったの。聖職を辞める事すら大変なのに、聖職者じゃなくなったら、フィガロの権力争いが始まるかもしれないって事も。私、何もわからずにマッシュを困らせてしまって…!」
「マッシュは、なんて?」

 セリスがあの当時の自分を重ねて優しく尋ねると、ティナはもう一つ、大粒の涙を流した。

「……誕生日までに、迎えに来るって」