千年の空、鋼鉄の大地
[A long winter is exceeded.]
(2011ロック誕)
第1話~第2話
夕暮れの静寂、透き通る薄い金髪は赤色に染められていく。鋼鉄で出来たタラップと柵は元が赤銅色に黒を滲ませた色合いだった為、余計にこの世界から他の色を褪せさせる。柵の鋼に反射した黄昏から射す光は、この風景の中でただひとつの碧を輝かせた。
夕暮れを見詰めて鋼の手摺をそっと撫でると、この風景唯一の碧い海は水面を狭める。懐かしんでいるようにも、悼んでいるようにも見える表情。見る者によって姿を、性質を変えるそれは、微笑んでも、哀しんでもいない。ただ、彼女の心にある海は、波風ひとつ立たぬ穏やかな水面だった。
(懐かしいのではなく、)
喩えるならば水を得た魚、そう考えて金糸の長身な女性は手摺をざらりと音を立てて撫でた。ここが自らを示す証であるように、大きく息を吸い込んで腹の底から深く息を吐く。
決して空気の清々しい場所ではないのに、彼女は心地良さを覚えたのだった。
―――迷わない日なんてないから、信じることも出来る。
第1話:鋼鉄の大地で星空を
現世総てが黄昏の橙色に染められたのかと見紛う程の風景は一枚の絵画のようだった。無音の世界で、黄昏に染まる戦乙女の姿は、まるで神話時代の壁画にすら見える。
数瞬の間、男は声を失う。声を掛けようと思って伸ばした手を自らの前に戻し、彼女が気配に気が付いて振り返るのを待った。
彼女が振り返ると、暖色に包まれたなかで唯一の碧が現れる。碧が黒のジャケットとブルネットの髪を見つけると、水面を揺らすように微笑んだ。
何をしているのか、彼は問わなかった。首を傾げて不思議そうな表情をしただけで、それが彼女に伝わると思ったからだ。
案の定、彼女はその表情にくすりと微笑み、夕暮れに染まる紅い空を指差した。
「……空?」
男はようやく声を出す。彼女が指を向けた先へ男が視線を動かせば、魔導研究所とその先に城下町が見える。夕暮れの日差しに目を細めて、男は彼女に近付いた。
男が隣に立つと、彼女は男の疑問に目を伏せ、首を振って答える。愛おしそうに夕暮れの街並みを見詰めて彼女は言った。
「私、この街が好きなの」
彼女は彼を振り返り、寂しそうに微笑む。2人の胸に小さな棘が引っ掛かり上手く外れない。
「……ここには、ロックの好きな暖かい緑の野原も、水のせせらぎもないし、草花は温室でしか育たない。けれど、生まれ育ったこの街並みを見るのが、好きなのよ」
(理解しては、貰えないだろうけれど)
最後の言葉を飲み込んで、ロックと呼んだ男から彼女は目を背けた。彼女は手摺を両手で掴み、上半身を少しだけ柵の外に向ける。鉄の匂いがする風が、彼女の金糸を攫った。
不意に、彼女の視界端からロックの影が消える。鈍い金属音を立てた後に続く、小さな金属類がぶつかる音。足下から聴こえた音を確かめようと彼女が下を向くと、ロックが仰向けに寝そべっていた。
「ロック?」
余りに突拍子もない彼の行動に驚いた彼女がロックの名を呼ぶと、彼は少しだけ身じろぎして腰に付けた装飾品と鋼鉄の床を鳴らした。伏せていた眼の片方を薄く開けて彼女を見ると、ロックが自分の隣を顎で示す。
さすがに鋼の床に寝そべる気にはなれないのか、彼女はロックの隣に腰を下ろして、冷たい床に両手を置いた。彼女が腰を下ろすと、やはり薄い鋼鉄の床が音を鳴らす。
彼女が腰を下ろしたのを確認すると、頭の下に敷いていた両腕を片方だけ外してロックは上空へ向かって掌を広げる。
「セリス、空見てみろよ」
ロックの声に従って、セリスは自分の両腕を支えに体重を預け、胸を反らしながら空を仰ぎ見た。夕暮れは何時の間にか藍色と混じり合って薄桜色の不思議な空になっている。夕暮れの時から薄く見えた宵の明星は、藍色に染められ始めた空の元で輝きを増す。
「星空の透明度は違うけど、何処で見ても星は同じ場所にあるだろ」
「そうね」
天を仰ぐ二人の真上には、夕暮れが星空に変わる瞬間がゆっくりと流れていく。
時の長さと同じ位、早くも遅くも感じる空にもどかしさを感じながら、セリスは見上げたままでロックを横目に盗み見た。
ロックはいつもの空を見上げる表情で悠然と笑っている。
「鋼ってさ。鉄を主成分とした合金の事なんだよな。炭素の含有が0.3%から2%以下のものの総称で、鉄の持つ性能を人工的に高めたもんだけど、元々は世界にあった鉱物のひとつ。これが無ければ、フライパンも、ナイフも作れやしない」
「……剣も、ね」
「そうだな。鉄って、案外俺たちの身近にあるんだよなー」
セリスが皮肉交じりに呟いた言葉さえ飲み込んで、ロックは頷いた。自嘲を含んだ自分の言葉が恥かしくなって、セリスは改めて星空へ視線を移す。
確かに、ロックの言った通り、星空は他の場所で見るより少しくすんではいるが光り続ける場所は変わらない。
「いいんじゃないか」
「えっ?」
一体どこに帰結したのか話の道筋が見えなくて、セリスは思わず振り返ってしまう。ロックもセリスをみやって歯を見せるように笑った。
「野原の方が柔らかいけどさ、鉄の上で寝そべって見る星も悪くないって話。確かに背中痛いけどさ、岩の上で寝てもやっぱ痛いしな。どっちも、世界にあっちゃいけないものじゃないだろ」
(世界に、あってはいけないもの、じゃない?)
セリスの育った場所が、自然の一部だとさえ受け止めるロックの言葉に、彼女は動揺を隠せない。自然を破壊するこの国の鋼鉄は、諌められるべきものだとセリスは信じて疑わなかった。
ロックの視界からはセリスと違う何かが見えているのだろうか、そんな事を考えて彼女がロックを覗き込むと、ロックは彼女の首元に抱きつくようにして起き上がる。
「ちょっと!」
勢い余ってロックのひざ上へ倒れてしまったセリスを見て、ロックは笑いながら「悪い悪い」と謝る。倒れこんだセリスの金糸を撫でて、清々しく笑うロックを見ていると、セリスもそれ以上何も言えずに彼から視線を逸らした。
膝の上にセリスを閉じ込めるように、ロックはセリスの髪を梳く。
「俺は、セリスの育った場所が悪いなんて思ってないって事」
(この人は、いつもなんで)
「何処が悪い、何が悪いじゃなくて、それをどうするかだろ?それこそ、俺たちが変えればいい話さ」
(なんで―――いつも、)
ロックの視線から顔を背けて、セリスは彼の太腿に流れたスカーフに指先を埋める。
彼女の表情を見ずに、ロックは優しい声で彼女に囁いた。
「だから、そんな顔すんなよ」
(一番欲しい時に、一番欲しい言葉をくれるの)
風が吹き始める。秋の風は鋼鉄の合間をすり抜けて冷たさを増しているが、膝の上に落ちた滴の温もりは、まだ暖かかった。
第2話:思惑の狭間で、議会は踊る
旧ガストラ帝国領首都ベクタでは、治世を巡って会議が続けられている。セリスはその会議が休憩した所で外を見まわっていたのだ。
先程流した涙が分からないように化粧を軽く施しなおすと、彼女は議会という戦場へ向かう。鋼鉄の城で行われる、ベクタのこれからを決める重要な会議だ。
「気負うなよ」
「わかってるわ」
昔からの癖で、議会に出るときは小娘だと笑われないように背筋を伸ばしたセリスに、ロックがまるでどこかに遊びに出かける位の気軽さで笑う。二人の指は、こつんとぶつかって緩やかに絡まりあった。
今日の議会にはドマ国代表のカイエンや、フィガロ国代表のエドガーも来ている。彼女たちの味方は多いのだ。
「なるようにしかならないって、言いたいんでしょ?」
「わかってらっしゃる」
絡まりあった指先を強く握りしめて、二人は笑い合う。そして議会の扉が開くと同時に、ふたりの指先は緩やかに解け合った。
指先が繋がっていなくても、彼女たちは心で繋がっている。空のように自由なロックと、鋼鉄の大地のように背筋を伸ばしたセリスの二人は、全く違うようで、必ず地平線で出会うのだから。
議会は重々しく話を進められた。
魔導工場の撤廃が約束されたベクタだが、工場自体は別の事に使えるのではないかと討論が続いている。工場から海に流される汚染物質をどうするかという議題で、まだ問題点に決着はついていない。
(工場が、完全に潰されたら、おじいちゃんの温室もなくなるのかしら)
資料に目を通しながらぼんやりと頭の片隅でセリスが考える。
あの場所は、セリスが幼少時代の大半を過ごした大切な思い出の場所だ。だからと言って、そんな感情論だけでどうにかなる議題ではない。
ベクタのこれからが決まる大切な議会なのだ。承認されてしまえば、温室も、シドの書斎も、何もかもが撤廃されてしまうだろう。
ベクタの人間たちは、魔導工場の実験場を全て撤廃すると約束はしているが、まだこの国の発展に繋がる事があるのではないかと食い下がっているようだった。
「確かに、ベクタは機械で発展した国だ。産業を取り上げられてしまえば問題は多いだろうね」
ぼそりとセリスの隣に座したエドガーが書類で口元を覆いながら両隣に感想を零す。エドガー達も、理解していないわけではないのだ。
彼らベクタの人間の産業を取り上げるということは、彼らの生活の基盤を取り上げてしまうという事。だからこそ、話は遅々として進まないのだ。
「しかして、幻獣たちや自然、我が国を貶めた工場を野放しにしておくわけにはいかぬでござる」
エドガーの反対隣りで呟くカイエンの表情は頓に険しい。彼の国を滅ぼした毒は、間違いなくこの兵器生産工場である魔導工場で生まれたに違いないのだから無理はないだろう。
エドガーは、軍備から民間に技術が落とされることで民間に発展があることを理解しているだけに、眉間に皺を寄せて顔を曇らせた。
まだ議会の討論は喧々囂々と続く。
「要するに、監督者が居て、民間の工場として自然を汚染させないようにすればいいんだよな?」
喧しく騒いでいた議会が、ロックの一言でざわつきに変化した。ざわつく議会を飄々とした顔で見詰めて、彼が書類をばさりと机に投げる。
「俺、やるよ」
「ちょ、ちょっと、ロック!」
思わず立ち上がりかけて、セリスは中腰のままロックの袖を引っ張った。エドガーが口笛を鳴らしそうな表情でにやりとロックを見詰めている。カイエンは今までの険しい表情から太い眉を軽く上げてロックを見ている。
皆、解決策待ちなのだ。彼の発言には大いに注目が集まる。
「俺はどこの国にも属していない第三者だ。監督者としてこれ以上申し分はないだろ?」
「しかし、国外の者に……」
「いや、もうこれしか失業者を救う方法は……」
「だが、何を始めるというのか……」
ベクタの人間からは反応は様々だ。エドガーがロックと視線を合わせると、ロックが軽く頷いてみせる。
時折エドガーとロックに見られるこのアイコンタクトをセリスが正しく理解できたことは少ない。少しだけ、彼らの関係がうらやましいとセリスは思った。
エドガーが、セリスの背中越しにロックへ書類を手渡す。それを受け取って、ロックが捲り、エドガーはカイエンへと何か耳打ちした。
「第三者の俺が監督者になって、此処に居るフィガロ国と、ドマ国に力を貸してもらう。フィガロは機械大国でノウハウもあるし、ドマは戦前のお宝資料が山のように眠ってるんだ。それならフィガロとドマからの監視が入るし、実際の経営はベクタに還元するし、雇うのはベクタの人間たちだ。ベクタの産業を止めもしない。異論があるなら聞かせてくれよ」
(ロックは、一体何をする気なの?)
セリスの疑問に答えを出さないまま、議会は夜半を過ぎてもまだなお続く。