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第7話~第8.5話(2010Xmas)



第7話:厭な事尽くめの夢から醒めた

 

 ティナにダイニングの椅子へと座らせられたセリスは、所在なさげに俯いていた。テーブルに肘をかけて組んだ手に額をつけて視界を狭めている。

「指、痛くない?」

 ティナに問われると、セリスは無言で頷く。カチャリ、カチャリと割れたマグカップを片付ける音がして、泣き止んだばかりの熱い吐息を口から吐き出した。
 雨が窓硝子に激しく当たる音が聞こえてくる。外を確認せずに、雨で冷えた空気が心地良いなと思う。泣き止んだばかりの自分にも聞こえるのだから、外は土砂降りなのだろうと考えた。

「温かいもの淹れるね」

 ティナはマグカップを片付け終わると、翠色の髪を揺らして食器棚から新しいマグカップを取り出す。ピンク色に内側がチョコレート色をしたマグカップをひとつ、白地に文字をあしらったマグカップをひとつ。ティーポットと、オレンジペコーの茶葉を一緒に取り出すと、マグカップを片付けている間に沸かしておいたお湯を注いで茶葉を蒸らした。

(紅茶……いい匂い。オレンジペコーだわ)

 ティーポットから、ティナがマグカップに紅茶を注ぐと、ピンク色のマグカップをセリスの手前に置いた。
 コトリ。テーブルに置かれたマグカップを手で包む。温かい紅茶が熱くなりすぎた脳内を冷やしてくれる気がした。

「話したくないならいいんだけど。…どうしてセリスは泣いていたの」

 優しく諭すような口調に、救われる思いでセリスはようやく口を開いた。言葉にしようとしたら喉がカラカラで、上手く声にならない。一口、紅茶を啜ってから、セリスは話し始めた。声は嗄れていたが、出来るだけ明るい口調になるように気をつけて。

「ロックに、ふられちゃった」
「……本当に?」

 正面を見れば、真っ直ぐにセリスを捉えようとする深緑色の瞳と出遭う。あれは、真偽を見定めようとする眼だと気が付いて、セリスは言葉を重ねた。

「……嘘じゃないわ」

 頭を小さく振るセリスを見て、ティナが溜め息を就く。ティナから見れば、ロックはいつでも少年のように笑うのに大人の間合いを取る不思議な人だと感じていた。必死に張り詰めて大人である事しか出来ないから他人と距離を置きすぎる、少女みたいな危うさを持つセリスとは真逆の人。セリスが義を重んじる真っ直ぐな光ならば、ロックは清濁併せ持つ大地のようだとも。

「どうして?」

 ティナは、ゆっくりとセリスを宥めるように聞いた。少し言葉に迷いながら、セリスは時系列を追おうとする。

「昼間に、ケーキを持っていったの。そしたらロックに捕まって、他の人が食べようとしたら偶然居合わせたガウが食べちゃって」
「うん」
「中に……ナットが入ってて。ガウが倒れて、ロックがすごく、怒ってて怖くて」
「……うん」

 思い出してる内にまた涙が溢れ出して、セリスの頬には涙が河を作ろうとする。顎の先からポタリと膝に雫が落ちて、セリスは目元を服の裾で抑えた。

「うちに引っ張って連れて来られて、『ケーキを作ったのは私か』聴かれたの。でも、誰にも話さないって約束だったでしょう?何を聞かれても、黙ってるしか出来なくて。そしたら、俺に言えないなら、俺じゃ支えられないって事だろって言われて…」

「え、待って。どうしてそんな話になるの?」
「私が、わるいの」

 ティナがマグカップをテーブルに置くと、ふわりと湯気が辺りを満たす。セリスが涙腺の緩んだ状態で息を吸い込めば、鼻孔が詰まってむせてしまう。

「ロックが、前から言ってたの。私がどうしたいのか、理解したいから、ちゃんと話そうって。それが嘘でも、私を一番に信じるって。でも、私にはティナとの約束も大事だったから……何も言わなかったの。私、ロックの信頼を、裏切ってしまったの」
「セリス……」

 居たたまれなくなって立ち上がったティナが、セリスを横から抱き締める。ふわりとした柔らかい感触に戸惑いながらも、セリスは更に涙を零した。肩が震えるのが、抱き締めたティナに伝わる。震えを止めてやりたいと思ったティナが一層強く抱き締めた。

「セリス、ここで待っていられる?」
「……どう、して?」

 セリスを離して背中をさすり、後ろから覗き込むようにティナが視線を合わせた。母性愛に満ち溢れた優しい笑顔は、全てを癒やすようにセリスへ注ぎ込まれる。

「ちゃんと、もう一度話しあってみない?ロックだけなら教えてもいいから」

 もうどうする事も出来ないセリスには、頷くしか出来なかった。


第7.5話:悪戦苦闘が必定、選んだ辛勝[3話幕間小話]

 

 12月2日の昼。親友であるティナに絶対見ないでね、と言われた白い箱をセリスは覗いてしまった事が始まりだった。

「ティナ、流石にあの外見は……渡す私も気が引けてくるわ」
「……やっぱり、だめかしら」

 見たことに怒るかと思えば、ティナはすんなりとセリスの意見を受け入れた。言うまでに少し悩んだセリスも、これならば早く言えば良かったと後悔をするが、時は既に遅い。
 ティナがお菓子を作るのにキッチンを貸して欲しいとお願いされたのは、ロックの誕生日パーティーをした日の事。
 どうにか、ロックが昼間に家へ戻らないようにする口実を作ったまでは良かった。その後の片付けを考えて、ロックの帰りを遅くしたのはやりすぎたかとセリスは若干反省しているのである。

「疲れた時は甘い物って言うけど、食べて貰えなかったら仕方ないでしょ」

 女性誌に載っている菓子専門店の写真を開いて、セリスは力強く言った。菓子の本はティナに貸したままなので、手元には無い。

「ロックにはちょっとやりすぎちゃったし、せめて見た目だけでも私が手伝うわ」

 完璧主義者のセリスが、本気を出したら止まる事がない。その日ティナが作った、明日渡す予定のケーキは素晴らしく綺麗にデコレーションされた。

(なんか、中に変なの見えた気がしたけど……ティナだって味覚はまともだし、大丈夫よね)

 実際にクリーム等の中身を作っている姿は見ていないので、セリスはこのケーキを味見すらしていない。今日作ったスポンジの中に不思議な色の魚が混じっていても、クリームを乗せる前に見えていなければ、止める事は出来ないのだ。

「なんか……時間かかっちゃったわね」
「ごめんなさい、セリス。まだ仕事あるんでしょう?」

 申し訳なさそうに上目遣いで見上げるティナに、セリスはウィンクで答えた。

「大丈夫よ、後から取り戻せばいいもの」

 セリスは今から戻る映像通信所の女性たちを思い浮かべて、ティナと比べた。
 映像通信所の女性たちは、決して嫌な人間ではない。ただ、ここはセリスが過去に帝国将軍を務めたベクタである。軍人だった頃の崇拝者が未だにいる所為か、どうしても友人になるには一線於かれてしまう。
 そんな理由もあってか、セリスは、この数少ない女性の親友であるティナをとても大事に思っていた。少々の犠牲ならば厭わない位に。

「……上手になるまで、内緒にしてね?」
「誰にも言わないって約束するわ。ティナ、安心して」

 こんな風に友達として頼られるのは、職場で頼られていた時よりなんて穏やかで誇らしいのだろう。セリスはささやかな幸せを護る為に、ティナとの約束を必ず守ると指切りをした。

「これからは、デコレーションだけしに一度家に戻るわ。それまで、ティナはクリームとか他の準備がんばるのよ?」
「……セリス、ありがとう!」

 ぎゅっとティナに抱きつかれて、セリスは照れたように笑みを浮かべた。

(仕事押しちゃうけど……ロックには遅くなるって言えばいいわよね)

 これが、連続ケーキ殺害未遂事件と呼ばれる原因だとは、2人とも全く想像していなかったのであった。

 


第8話:上手に君の前で息が出来ない

 

「ロックに会って話したい事があるの、お願い。ティナ・ブランフォードが来たって言えばわかる筈だわ」

 ベクタ鉄道開発計画所。受付に、翠色の髪と翡翠の瞳を持つ女性がカウンターを挟んで受付嬢と対峙している。

(……何をやっているんだ?)

 3年前は毎日を一緒に過ごした彼女の必死な姿は、通り掛かった彼にとって至極不思議な光景にしか映らない。いつも笑って穏やかなティナが取り乱しているのだから助け舟でも出すべきなんだろう。そう考えて彼は受付嬢に食い下がるティナに声を掛けた。

「よっ。ティナ、久し振りだな」
「……、マッシュ!」

 ティナが翠色の高く結い上げた髪を揺らして振り返ると、少し固まってから大きく目を見開いた。『天の助け』とでも思われているのだろう、マッシュの目に映るティナは嬉々として今にも泣き出しそうだ。

「なんて顔してるんだよ。あーごめん、この子俺の連れだから後で許可証取るよ」

 筋肉隆々の逞しい身体つきをした蜂蜜色の金髪青年は首から提げたカードを見せると、歯を見せるようにニッと笑った。受付嬢も、『special visitor』と書かれたカードを持つ青年へ丁寧に頭を下げる。「行こうぜ」とマッシュに促されて、ティナはとある小部屋へと通された。
 休憩室と書かれた扉をマッシュが開けた先には、資料の山が長机の所狭しと積み上げられている。少し空いたスペースには白い箱がポツリと置かれていた。

(これでは休憩出来ないんじゃないかしら)

 休憩室の状況に唖然としていると、マッシュが鉄パイプで出来た椅子を指差して「その辺適当に」と促される。鉄パイプ椅子に座ると、ティナが勢いよく喋り始めた。

「セリスの事でロックに話があるの。マッシュは、ロックが何処にいるか知らない?」
「あー、話は兄貴とリルムから聞いたよ」
「エドガーとリルムも来ているの?」

 コーヒーメーカーから抽出したコーヒーを、そこらに洗い上げてあったマグカップに淹れてティナに差し出す。ティナは若干の動揺を悟られまいと、必死に手の震えを隠しながらマグを受け取った。

「それで、ロックにどんな話をしにきたのか解らないけど、あんな状態で、ロックにまともに話せるのか?」

 図星を刺されて、ティナは向かいの鉄パイプ椅子に腰を下ろすマッシュを見上げる。マグカップの中にある琥珀色に視線を落とすと、ティナが小さく話始めた。

「私が悪いの……」
「なんでだ?」

 マッシュの声は双子だからかエドガーとよく似ている。だが、その響きは仲間であっても一線を置く貴族の責任を持った響きではない。まるで、本当の兄であるかの様な陽だまりの優しさに満ち溢れていた。

「私が、ケーキ作ってたの……!お料理なら出来るけど、セリスが作ったパンケーキを見て、私だって、お菓子を作りたいって……。エドガーだって、セリスやロックの作ったお菓子を美味しそうに食べてたから、私も、あんな風に喜ばせたかったの。」

 ポロポロと零れる涙が頬を伝って、顎先から膝へ落ちる。マッシュは静かに相槌を打って聞いていた。

「でも、失敗しちゃったみたいで、盛り付けはセリスに習ったのに。セリスには誰かに食べて反応貰おうとお願いしてたの。だから、私が悪くて……、セリスには私が作った事黙っててお願いしたから。だからだから、ロックに、セリスと別れるって、取り消して欲しいの」
「……そうか」

 言葉少なに呟いて、マッシュはティナに「いいこ、いいこ」と髪をぐちゃぐちゃにするような撫で方をした。マッシュが許してくれたような気がして、気が緩んだのか、ティナは嗚咽を隠そうともせずに泣いた。
 ティナが一通り泣き終わるのを待って、マッシュが近くのタオルをティナに渡す。

「ティナの気持ち、よくわかったよ。ティナが謝りたいのもわかる。でもな、多分、先に謝らなきゃいけないのはセリスだから、ティナはそれまで待ってなくちゃダメだな」
「なんでっ……悪いの、私、なのに……!」

 受け取ったタオルで顔の真ん中を抑えながら、ティナが喋る。マッシュは、「ゆっくりでいいぞ」と優しく頭を撫で、マグカップを長机に置いてから背中を撫でた。

「落ち着けって。ロックは、ケーキを怒ってるワケじゃないんだよ」
「じゃあ、何……?」
「……自分にとって、大事な事ってあるだろ。ティナは、俺に大事な事隠されるのと、一番喜ばしたい人に大事な隠されるの、どっちがイヤだ?」

(一番、喜ばしたい、ヒト?)

 ティナの頭に浮かんだ、みんなで食べたお菓子と、エドガーとマッシュ二人の笑顔。気が付いて肩を震わせてから、ティナは首を横に振る。柔らかく微笑んで溜め息をつくと、マッシュは続けた。

「答えなくて、いい。でも、それが答えなんだよ。わかるか」

 ティナが俯いたまま、マグカップを長机に置く。マッシュは続き部屋になっている仮眠室から毛布を取り出すと、ティナの肩に掛けた。

「セリスには俺が言っとく。ティナは、セリスがロックと仲直りしたら、ちゃんと2人に謝る。あと、心配掛けたみんなにも。出来るよな?」

 声にならない嗚咽を漏らしたまま、ティナが頷く。「やっぱりティナはいいこだな」とマッシュが頭を撫でるので、ティナは更に涙をこぼした。
 そこに、場違いな程陽気な声で歌を歌いながら、よく見知った好々爺が扉を勢いよく開けた。

「ほっほ、お邪魔だったかな」
「ストラゴス、久し振りだな」

 マッシュの声で扉を開けたのがかつての仲間であるストラゴスである事を知ったが、ティナは顔を上げられずにタオルに顔を埋めた。

「なんじゃ、ティナは具合でも悪いのかの。儂はちょいと腹が空いたのでココの食べ物を拝借したら戻るゾイ」
「ここの食い物は共同だから、何食ってもイイって聞いたぜ」

 マッシュの言葉に破顔するストラゴスは、冷蔵庫に視線を移そうと長机側へ視線を向けた。ストラゴスの視界に白い箱が入り、菓子折りかと中を確認する。その中には、見事なケーキが5個並んでいた。

「おぉ、美味そうなものがあるゾイ。いただくとするかの」

 マッシュは、そのケーキが例の問題であるケーキとは知らず、その様子を眺めていた。
 一口目で、ストラゴスの顔色が真っ青から土気色に変わる。

『ブシャァッ』

 次の瞬間、キレイな放物線を描いて、そのケーキはストラゴスの口から吐き出された。

「ストラゴスーーーッ?!」

 マッシュの叫びに驚いて振り返るティナが見たものは、折れた歯とケーキの残骸を吐き出して仰向けに倒れたストラゴスの姿だった。良く見ると口の端に若干の血が流れている。

「真っ白……だゾイ」
「召されるなーーッ!?」

 その日、二回目の出動となった医療班に、会議室班代表でウェッジが酷く怒られたのは言うまでもない。


第8.5話:婉曲してる愛情表現だから。

 

 それはある日のエドガーが映像通信所へ行った帰り道。不思議な噂を確かめようと、エドガーは鉄道開発室のロックに会いに来ていた。

「エドガー。スポンサー自ら視察か?」
「ちょっと気になってね」

 気にした様子でもなく、エドガーは鉄道開発の会議室にある鉄パイプ椅子に腰を下ろした。ロックは声を掛ける時に一度見たきり、作業に戻って集中している。
 たっぷり5分程ロックを眺めると、エドガーが突然口を開いた。

「なんで、恐妻家のフリをしてるんだ?」
「ゲホッ」

 余りにも仕事とは関係のない質問に驚いて、ロックが噎せる。胸をトントンと叩きながら、ロックが恨めしそうにエドガーを見た。
 エドガーが本当に解らないといった様子の表情を見せるので、仕方なくロックも答える。

「……そういうつもりじゃない」

 これ以上を語ろうとはせず、近くのコーヒーメーカーへとロックが足を向けた。トドメを与える必要があるとみて、エドガーが言葉を重ねる。

「映像通信局にさっき行ってきてね」
「……あぁ」

 コポコポとコーヒーメーカーが小気味良い音を立てて簡易コップにコーヒーを注ぐ。コーヒーの香りが室内に充満し始めた。

「確かに、彼女は映像通信局の責任者だよ。だが、セリスとロックは仕事仲間以上だろう?ロックが人前で敢えて、セリスを立てている理由が知りたくてね」
「……」

 無言で出来上がったコーヒーをエドガーの前に差し出して渡す。受け取ったのを確認して手を離すと、ロックは自分の座っていた鉄パイプ椅子に行儀悪く胡座をかいた。
 優雅な動作でコーヒーに口をつけるエドガーとは違い、ロックは軽く自分の吐息で湯気を飛ばしながらコーヒーを口にする。

「……あいつさ、ベクタの軍人だったろ」
「あぁ」
「ここに所属してる人間は、多かれ少なかれ、帝国軍人が多い。中には、セリスの事を将軍としてしか見れないやつもいる。……影響力が、違うんだよ」

 語るロックの薄い琥珀色の瞳が、コーヒーの深い琥珀の奥を見通すように、遠く視線をなげる。深い蒼の双眸が、その様子を静かに見守った。

「ベクタの人に取って、セリスは強くて、気高くて、何にも揺れない理想的な上司であって欲しい。だけど、セリスは……」
「……ごく普通の、泣いたり笑ったりする魅力的な女性だね」

 言葉を濁したロックの後を継ぐように、エドガーがはっきりと言葉にする。
 その言葉を聞いて、ロックがようやくエドガーを真っ直ぐに見て頷いた。

「私は、今のままのセリスくんでも充分に魅力的だと思うけどね。……セリスくんがそれを良しとしなかった。そうだろう?」
「……ああ。でも別れたよ、ついこの間、な」

 エドガーが溜め息を就いてコーヒーを半分まで飲むと、ロックが一気にコーヒーを飲み干した。コトン、というテーブルにカップを置く薄い音が合図のように、エドガーが話す。

「なんだ。えらく不機嫌に作業していると思ったら、ただの痴話喧嘩中か」
「ちげーよ」

 不機嫌を隠そうともせずに、ロックが手に頬をつく。エドガーが片手で口を隠しながら、くっくと笑って指先を揺らした。

「どうせ、謝ってきたら赦すつもりなんだろう」
「そりゃあ……でも、何も」
「でも、いつかはセリスくんが気付くと信じてる。違うかい?」

 ロックは、はぁ、と溜め息をついて「そうだよ」とエドガーから視線を外す。「ガキだね」とエドガーが笑った。
 断じられて腹も立ったが、こんなやり取りは今に始まった事ではないのでロックは諦めて口を噤んだ。
 エドガーは話を戻す為に、湯気の冷めかけたコーヒーをほんの一口だけ啜る。

「そんなお子様思考のキミは、彼女をそのままの姿で居させる為に、恐妻家のフリをした。“ここには、優しくなったように見えてもあの時の彼女がいる”と演出したわけだ」
「それだけじゃ、ないさ」
「と、いうと?」

 謎を解き明かすようにひとつひとつ紐解かれていく。ロックは「なんかムカつくな」と呟いて、諦めたようにカップを指先で弾いた。
 エドガーもコーヒーの最後一口を残して残りを飲む。

「戸惑ってたんだよ。今のままで、軍人であった自分を知っている人間と、そうでない人間を態度変えずにどうやって付き合えばいいか。セリスは、悩んでた。だから、恐妻家のフリすりゃ、セリスを知らない人間もそういう人だって認知するだろ? だから……」
「……そうか」

 最後の一口分だけコーヒーをグイッと飲み干すと、「ごちそうさま」と言ってカップを机に置く。エドガーが立ち上がってマントを羽織ると、ロックも倣うように立ち上がった。
 扉を開けたエドガーが少し振り返って、ウィンクをする。

「ついでに、他の男避けのつもりなんだろう。エレガントじゃないね」
「……~~!」

 バタンと閉められた扉に向かって「てめぇ!」とロックが激昂する声が聞こえる。最後にエドガーが一瞬だけ見えた友人の顔は、真っ赤に茹で上がっていたので、きっと間違いではないのだろうと彼は笑った。

「だから、ガキなんだよ。ロックくん」
(他の誰かと区別が欲しいなんて、ね)
「それは、私も同じかな」

 今日はこの位にしておかないと、またからかうネタが減ってしまうからね、と自分に呟く。
 ふと、マントコートの内側に入れた封筒に手が触れて、歩みを止めた。

「……ジュエリーショップの紹介状、渡し忘れたな」

 誰かづてでも構わないだろう、と考えたエドガーは、晴れ晴れとした表情のままベクタを後にした。