STEP you
[1.2.3.4 You and Me]

第1話~第2話



カントリーテーブルに冷やした真っ白のプレート

アプリコットペーストを乗せたふわふわのチーズスフレ
白のナプキンに銀のフォーク
湯気の漂うティーカップの中にアールグレイティー

ひざ下丈の純白プリーツのワンピースに少しだけもどかしさ
待ち合わせの、午後2時まであと少し。

知らなかった、ひとつ知るだけで幸せになる気持ち
普遍的な幸福論。


第1話:STEP One / Side Celes


 それは、3月に入る前の出来事。ケフカを倒し世界が平和に戻ってから、2人は晴れて恋人同士となっていた。だが、2人は相も変わらず目まぐるしく変わる世界を走り続けており、彼らの旅路は変わる事がない。変わった事はといえば、ほんの少し、お互いが自分の気持ちに素直になった事だけ。
 セリスは家でコーヒーを飲むロックの向かいに座って自分のマグカップを握った。湯気の立ち上るマグカップを冷まそうと息をひとつ吹き込んで、上目遣いにロックを盗み見る。
 すぐに気付かれて、肘をテーブルについたロックが「どうした?」と声を掛けてきた。

「あ、の。3月の第2木曜日なんだけど……予定って空けられるかしら」
「3月の第2木曜日か?」

 ポケットから皮の手帳を出して、ロックがパラパラと捲る。じっと手帳を見詰めた後、彼は考え込む仕草をしながら足を組んだ。
 静かにセリスがマグカップを置くと同時に、ロックが口を開く。

「悪い。その日は前日から忙しいから空けられないな」
「え……」

 思ってもみなかった返答に、セリスが言葉を無くす。飄々とした表情のロックを、セリスが両目を開いて見ると急に胸が空いたような空虚感に襲われた。

(私の誕生日、忘れてるの?)


 去年は仲間達と一緒に祝った誕生日も、今は2人。せっかく恋人同士になったのだから、最初位甘えても良いのではないかと、セリスは空いた胸にぐちゃぐちゃになりそうな感情を押し込めた。

「……そう、なの」

 じゃあ仕方ないわね、とセリスは悟られないように強がってみる。実際、強がっても見抜かれるだけだと理解しているのに、誰に向けて強がっているのだろうと彼女は自問した。

「セリスも、その日は予定入れんなよ?」
「……は?」

 予定を聞いたのはセリスの筈なのに、いつの間にかロックによって予定を抑えられているような言葉が返ってくる。3月10日が忙しいと言ったのは彼では無かったか。
 まだ湯気のたつマグカップを大きく煽って、ロックはテーブルに手帳を置いた。喉仏がコーヒーを飲み下すように動くと、彼の手がマグカップでセリスを示す。

「俺達さ、付き合ってから地図作製で毎日一緒に居たけど、仕事ばっかだったろ? ずっと悪いなと思ってたんだ」

 『付き合ってから』、その単語を相手に言われるとこんなに嬉しくて気恥ずかしいものなのかと、セリスは頬を紅潮させて視線を外しながら頷いた。仕事ばかりの生活に彼女は何一つ不満など無かったのだが、こう改めて言われると不満に思って良かったのか、と感心してしまう。

(普通の“彼女”なら、仕事ばかりだと嫌がるのかしら)

 正直な所、他人に敷かれたレールを誰よりも早く走る事だけを望まれた人生で、自分で人生を選べると知ったのが、約二年前の出逢い。自分で人生を、目的を選んで決めたのは、約一年前。
 彼女は、仕事や目的がない人生など送った事がないのだ。帝国で将軍を務めていた時も、休日に買い物へ出掛ける事はあったが、楽しんでいても『物価が上がっているのだろうか』とか、『この国を巧く落とせば、輸入品が安くなるかもしれない。だがケフカのような全滅戦になれば入手困難になるだろうな』という様に、その奥を考えてしまう癖がついている為、仕事に関わらない日が少なすぎたのだ。
 単純に何も考えずに1日を送れるのは、書店でアンティーク絵本を見る時と、温室の薔薇を眺めている時だけ。恋人がどう過ごすか、基礎知識として知ってはいても、彼女が知る普通の恋人の定義は、上流階級の人間が奥に打算を潜めた恋愛だ。
 庶民的な恋人の過ごし方と言ってもあまり思い浮かばないのと、毎日隣に居て彼の役に立てるだけで幸せを感じていた為、今まで不満に思う事も無かった。

「その日は外で待ち合わせしようぜ」
「待ち合わせ?」

 一緒に過ごしているのに待ち合わせなんてどうするつもりなのかとセリスが首を傾げてマグカップを見つめていると、ロックが「俺、前日出掛けるから」と言葉を重ねる。その言葉に驚くとロックの方へ顔を上げるとセリスは少しだけ悲しそうに眉根を寄せ、視線だけで見上げた。

「じゃあ、前日は一緒に居られないって事?」
「一緒に居たいのは俺もだけど、セリスと普通のデートってした事ないだろ?」

 ロックが腰をあげてセリスの頭を優しく撫でる。少しだけ乱れた金糸の河を片手で払って、口を尖らせるセリスの表情は和らいでいた。セリスの表情を確認してから、ロックはセリスの隣に腰を降ろして、左手をセリスの指に絡め、金糸の河を右の指先でかきあげる。セリスの耳朶にロックの唇の温度が分かりそうな程近付いて――

「セリスの知らない事、2人じゃないと出来ない事。……ひとつひとつ、教えてやるよ」

 セリスの鼓動が跳ね上がるのが自分で理解出来る。囁くロックの声が最初はワントーン上がりつつも、最後の一言でゆっくりと沈む。ロックが人差し指で耳元にあるセリスの髪を一房より分けると、彼は優しく耳の上側に口付けを落とした。

(こんな時だけ、狡い)

 いつもは子供地味た言動でセリスを困らせつつ笑わせる彼が、こうして2人の時にだけ大人の表情を見せる。まるで、知らない年上の男性の貌にセリスの心は翻弄されるのだ。
 耳元に感じた熱い温度に力を抜かれたセリスは、マグカップをテーブルに置いて腰を降ろしていたベッドに両手をつき背中を丸める。そのまま、鎖骨よりしたの胸の窪みに顔を埋めるようにもたれ掛かると、彼女の全身から力が抜けていった。
 片手で指先を絡めとられると、それが合図かのようにロックの顔が近付いてセリスが瞳を伏せた。お互いの唇を重ねるだけの口付けは、さっきまで飲んでいたコーヒーの香りがする。ゆっくり唇が引き離されると、今度は瞼にキスが落とされる。瞳を開けると、頭を撫でるようにロックが彼女の髪を梳いた。

――まだ、きっと知らない

 だから、ひとつずつ知りたいとセリスは思う。一気に彼の全てを受け止めたくても、自分に出来るかもわからなければ、彼の全てを一気に知る事が出来るかもわからない。時間だけはあるから、ひとつずつ知る事が近道で――

「危機的状況で出会った男女は恋に落ちるけど長続きしないって言うだろ」

 思考がぼやけたセリスの耳に流れる低くしたロックの甘い声。2人の時にだけ聴ける声質は、些細な違いだが彼女に優越感を齎す。こんなに、愛されているのだと。

「だから、これから当たり前の事を2人でして、余計好きになりたい。それなら、…ずっと続くだろ?」

 甘美な誘惑はセリスを陶酔させるが、同時に気恥ずかしさも込み上げる。2人しかいない宿で恋人同士になった今、恥ずかしく思う必要などない筈なのに、つい彼女は体勢を立て直すように体を離した。慌てたように今年からロックに倣って使い始めた手帳を取り出す。

「と、とにかく。10日は待ち合わせでいいのね?」

 クスリと微笑んだロックが「ああ」と答えて片足を組む。じっとセリスの動向を見つめながら、ジャケットの内側から煙草とマッチを取り出して火を点ける。一息、煙を吐くと、腕を伸ばして灰を灰皿へ落とした。

「アルブルグの港から2つ通り先のオープンテラスに見立てたガラス壁のカフェあるだろ。そこに午後2時な」

 セリスがサラサラとペンを走らせて手帳を閉じると、ルームシューズを脱ぐ。彼女はダブルのベッドに膝をついて奥へ進むと体を壁に向け、掛け布団を鼻先まで被って「おやすみなさいっ」とロックを見ないように挨拶をした。
 セリスの後ろから小さく笑う吐息が聞こえてから、背中に「おやすみ」と声が掛かる。電気を消されるのが目を閉じても感じられ、隣にロックが滑り込むのが体温の近さでわかる。

――こっち、いつもロックが寝てる側だから

 枕から鼻孔を擽る香りで、少しだけ彼に抱き締められた時の香りを思い出す。香りで鼓動が跳ね上がりなかなか寝付けない。
 待ち遠しいと感じながら、彼の静かな寝息を聞く内に、セリスも夢の世界へ旅立つのだった。


第2話:Partner step / Side Lock

 

 それは、3月に入る前の出来事。ケフカを倒し世界が平和に戻ってから、2人は晴れて恋人同士となっていた。だが、2人は相も変わらず目まぐるしく変わる世界を走り続けており、彼らの旅路は変わる事がない。変わった事はといえば、ほんの少し、お互いが自分の気持ちに素直になった事だけ。
 ロックは家でコーヒーを2つ淹れると、自分の向かいに黄緑色のマグカップひとつ置いて、最近愛用しているインディゴブルーのマグカップを握り一口啜る。少し熱めのコーヒーが体を温めた。向かいに腰を下ろすセリスが、コーヒーにかからないように耳元で薄い金糸の髪をかきあげると、湯気の立ち上るマグカップを冷まそうと息を吹き込んでいる。

(熱いのが苦手とか、可愛いよな)

 普段飲む紅茶より熱いモノは得意ではないセリスをのんびりと観察した。今日は話したい事でもあるのか、セリスは少し落ち着かない様子で上目遣いにロックを見ようとしている。
 恋人であるにも関わらずセリスはなかなか甘えようとはしてこない。どうしたらいいか、戸惑っているのだろうという事位は、一緒に旅をしてきて

「どうした?」

 肘をテーブルについたまま声をかけると、落ち着かない様子のままテーブルに置いたマグカップとロックを交互に見ながらセリスが口を開いた。

「あ、の。3月の第2木曜日なんだけど……予定って空けられるかしら」
「3月の第2木曜日か?」

 ポケットから皮の手帳を出してパラパラと捲り、3月のカレンダーを見やる。正直、彼はこの日が何の日であるかカレンダーを見なくても理解していたのだが、やけにソワソワした様子のセリスを見ていたら少しからかいたくなっていた。
 じっと手帳を見詰めた後、彼はわざと考え込む仕草をしながら足を組む。その様子を静かにセリスが伺いながら一口コーヒーを飲んでマグカップを置こうとするのを確認して、ロックが口を開いた。

「悪い。その日は前日から忙しいから空けられないな」
「え……」

 驚いた表情のセリスが言葉を無くして、見る間に悲しそうな表情になる。クールな彼女の百面相を見れていると思うと、世界でこんな顔をセリスにさせてられるのは自分だけだという優越感に浸りながら、いつもの飄々とした表情で、セリスの様子を伺った。一般的な女性ならば、『私の誕生日忘れてるの?』と詰め寄られてもおかしくないのに、彼女はそれをしない。予定が本当だったとしたらセリスは我慢してしまうのだろう、とロックは複雑な思いを同時に抱えると、俺が教えてやればいいかと結論付けた。

(少しイジメすぎたか、なんてな)

 去年は仲間達と一緒に祝った彼女の誕生日も、今は2人きり。晴れて恋人同士になったロックとしては、2人だけで過ごす予定を組んでいた。怒らずともせめて『その日は空けてほしい』と甘えられたら、求められたらどんなに嬉しいだろう。だが、セリスの反応は違うものだった。

「……そう、なの」

 じゃあ仕方ないわね、と続けるセリスは少しだけ声を明るくする。悟られまいと強がっているのが理解って、ロックは急に抱き締めたくなる衝動を抑えてまだ湯気の立つマグカップの中身をすする。コーヒーは彼の気持ちを和らげ、落ち着かせた。口元をにこりと笑わせて、ロックはセリスに言う。

「セリスも、その日は予定入れんなよ?」
「……は?」

 不思議、というよりは何を言ってるかが理解出来ないという様子でセリス目を丸くした。彼女が3月10日の予定を聞いてきたからには、予定が空いているだろうと確信しての言葉だ。
 まだ湯気のたつマグカップを大きく煽って、ロックはテーブルに手帳を置いた。元より手帳など必要がない。その日は既に空けてあるのだから――喉仏がコーヒーを飲み下すように動くと、彼の手がマグカップでセリスを示す。

「俺達さ、付き合ってから地図作製で毎日一緒に居たけど、仕事ばっかだったろ? ずっと悪いなと思ってたんだ」

 『付き合ってから』、その単語を口にするとこんなに改めて恋人同士になった実感が湧く。気恥ずかしいのか、セリスは頬を紅潮させて視線を外しながら頷いた。仕事ばかりの生活に、彼女は何一つ不満言うことなく素直にずっと着いてきてくれた。だが、改めて考えれば彼女に無理を強いてきたのではないか、不満を隠させてきたのではないかと不安な考えも頭をもたげた。それ以前に彼女は元軍人である。もしかしたら、普通の生活を、普通の恋人同士の気持ちを知らないのではないかと思い至ると、もっとセリスに普通の幸せを教えてやりたいと感じていた。

(普通の“彼氏”なら、仕事ばかりだと自分を見てないって嫌がられるもんな)

 正直な所、素直に今を受け止めてくれるセリスには感謝している。セリスが普通の生活では生きられないだろうと、この生活を選んだのは自分で、セリスに人生を選んで貰ったつもりだった。だが、その選べるレールを決めたのはロックだ。約二年前の出逢いから、選ばせてきたつもりで、本当は彼女に選ばせていないのは自分ではないかと考えれば苦しくもなる。常に自分で人生を、目的を選んで決めてきたロックには、彼女が普通に選べる幸せを教える事がこれからずっと人生の課題だと決めていた。
 セリスが、仕事や目的がない人生など送った事がない事位承知している。帝国で将軍を務めていた時の話をセリスから聞いた事はあるが、やはり何も考えずに買い物を楽しんだり、ただ自分の感情に任せて娯楽を楽しんだりする事は少ないように思う。
 単純に何も考えずに1日を送れるのは、書店でアンティーク絵本を見る時と、温室の薔薇を眺めている時だけと聴いた時は、たまらず抱き締めてしまった程だ。
 庶民的な恋人の過ごし方を知らないセリスは、毎日隣に居て仕事をしているだけで幸せそうに微笑んでくれる。だがそれに甘えていたら、いつまで経ってもセリスは自分をおさえてしまうだろう。それでは、恋人になった意味が無いのだ。

「その日は外で待ち合わせしようぜ」
「待ち合わせ?」

 セリスが不思議そうに首を傾げてマグカップを見つめる。一緒に暮らしているも同然で、仕事も一緒。待ち合わせという方が、非効率的だ。それでも、セリスには普通の男女が思い描くような恋人気分を味わって貰いたいとロックは考えていた。

「俺、前日出掛けるから」

 そう言葉を重ねると、セリスが驚いたようにロックの方へ顔を上げた。その後セリスは少しだけ悲しそうに眉根を寄せ、視線だけで見上げる。

「じゃあ、前日は一緒に居られないって事?」
(……めちゃくちゃ可愛いコト言うなよ)

 それ、前日から一緒に居たいって言ってるのと変わらないんだぞ、ずっと我慢してるけど俺も男なんだ、解ってるのか――と言いたい気持ちを押し込めて、ロックは冷静に言葉を選び直す。こんな事を言ってもセリスに他意がない事は重々承知しているからだ。

「一緒に居たいのは俺もだけど、セリスと普通のデートってした事ないだろ?」

 ロックが腰をあげてセリスの頭を優しく撫でる。純粋に綺麗だと思える、セリスの薄い金色をした長い髪。あと少し触って居たいとロックは思うが、名残惜しそうな指先を離すと、少しだけ乱れた金糸の河が片手で払われた。口を尖らせていたセリスの表情は、いつの間にか和らいでいる。セリスの表情を確認してから、ロックはセリスの隣に腰を降ろして、左手をセリスの指に絡めた。

――ただただ、触れていたい

 そんな欲望に忠実に、指先から体温を重ねると余計に彼女が欲しくて、困らせたくて仕方がなくなる。より近付いた金糸の河を右の指先でかきあげると、セリスの耳朶に唇を近付けて――

「セリスの知らない事、2人じゃないと出来ない事。……ひとつひとつ、教えてやるよ」

 耳朶の指先より冷えた温度が、ロックの背筋をゾクリと強ばらせる。自分でも、興奮しているのが理解出来て、これ以上は止めておかなければゆっくり段階を踏む意味が無いと理性が総動員した。

――少しだけ、なら

 自分の中で囁かれる甘美な誘惑の声は、セリスの緊張が指先から伝わる事で身を潜めた。落ち着きを取り戻したロックは、人差し指で耳元にあるセリスの髪を一房より分けると、優しくセリスの耳の上側に口付けを落とす。

(少しずつなら、問題ないだろ?)

 いつもなら大人びた仕草で困りながらもかわすセリスが、こうして2人の時にだけ無垢な乙女の表情を見せる。まるで、何も知らない少女の貌に自分の欲望を刻み込むようで、ロックの心は背徳感を覚えるのだ。
 肩の力を抜いたセリスは、マグカップをテーブルに置いて腰を降ろしていたベッドに両手をつき背中を丸める。そのまま、誘われるように鎖骨よりしたの胸の窪みに顔を埋めてもたれ掛かると、彼女の全身から力が抜けていった。
 重みを心地良く感じながら、片手でセリスの指先を絡めとる。と、それが合図かのようにロックが顔を近付けてセリスは瞳を伏せた。お互いの唇を重ねるだけの口付けは、さっきまで飲んでいたコーヒーの香りがする。ゆっくり目を薄く開けば、感情のままに瞳を伏せた金色の長い睫がロックの視界を支配する。全身を委ねた彼女から唇を引き離すと、今度は瞼にキスを落とした。

(今は、ここまで)

 セリスが瞳を開けると、少しだけ頭が冷やされる。欲望を押さえ込めた事で彼女の心を守れただろうかと考えながら、頭を撫でるようにロックが彼女の髪を梳いた。

――まだ、きっと知らない

 だから、ひとつずつ教えてやればいいとロックは思う。一気に自分の全てを受け止めさせたら、彼女自身が壊れてしまうかも知れない。単純に、心を閉ざしてしまうかも知れない。まだ、セリスの全てすら知らない自分が押し付けてはいけないだろうと、ロックは息を吸い込んだ。時間だけはあるから、ひとつずつ教える事が近道だから――

「危機的状況で出会った男女は恋に落ちるけど長続きしないって言うだろ」
(……ああ、そうだ。俺が欲しいのは、)

 言葉にしていけば思考がクリアになる。恋人の余韻を楽しむ為に低くした甘い声で惚けたセリスの上目遣いは、まるで情事後の満足感を齎す。2人の時にだけ見せる潤んだ瞳は、誰のものでもなく彼女は自分の所有物だと感じさせるのだ。こんなにも、頼られ、愛されているのだと。

「だから、これから当たり前の事を2人でして、余計好きになりたい。それなら、」
(刹那の連続じゃなくて、)

「……ずっと続くだろ?」
(この先にある、永遠)

 無意識にセリスが、キュッとシーツを握り締めたのが視界の端に入る。少し気恥ずかったのか、2人しかいない宿で恋人同士の今、恥ずかしく思う必要などない筈なのに、彼女は体勢を立て直し体を離した。慌てたように今年からロックに倣って使い始めた手帳を取り出す仕草を見て、ロックの口元に笑みがこぼれる。

「と、とにかく。10日は待ち合わせでいいのね?」

 微笑んだロックが「ああ」と答えて片足を組んだ。セリスの動向を見つめながら、手持ち無沙汰になった指先を慰めようとジャケットの内側から煙草とマッチを取り出して火を点ける。一息、煙を吐くと、腕を伸ばして灰を灰皿へ落とした。

「アルブルグの港から2つ通り先のオープンテラスに見立てたガラス壁のカフェあるだろ。そこに午後2時な」

 セリスがサラサラとペンを走らせて手帳を閉じると、ルームシューズを脱ぐ。彼女はダブルのベッドに膝をついて奥へ進むと体を壁に向け、掛け布団を鼻先まで被って「おやすみなさいっ」とロックを見ないように挨拶をした。
 その背中を見詰めて小さく笑ってから、背中に「おやすみ」と声を掛ける。照明を消して、彼女隣に滑り込むとまだ起きているであろうセリスの体温がほんのりと暖かい。

――うん、俺達のペースはこれでいい

 枕から、彼女の肩から滑り落ちる金糸の河に擽ったさを感じる。彼女の反応を見る限り、慌ててはいけないのだと改めて思う。今度の幸せは、手放してと頼まれても誰かに渡す気などないのだから。
 幸せそうに笑う彼女が毎日見れればそれでいい。深く呼吸をすると、ロックはそれ以上の思考を頭から追い出し、隣にある体温の幸せを感じながら深い眠りに就くのだった。